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安政6(1859)年 分間江戸大絵図 明治11(1878)年 実測東京全図
昭和52(1977)年 現代東京市街図 昭和4(1929)年 帝都復興 東京市全図
参考・令和(21世紀) GoogleMap
門前仲町 深川は江戸湾の海にのぞみ、町々を堀川が縦横にめぐり、舟と人と、道と川とが一体となった明け暮れが、期せずして詩情を生むことになる。
(池波正太郎「剣客商売(7)」大江戸ゆばり組)

幕末から明治の地図の水路網に上の文章が重なる。水路から引きこんで舟溜りになっている箇所も散在する。秋山小兵衛を乗せた、おはるの舟もこのあたりのどこかに舫ってから八幡に詣でたろうか。
昭和52(1977)年の地図で見ても、かなり水路が埋められたことが分かるが、現在はさらに首都高9号深川線下の油堀川は完全に暗渠化した。それにつながる亀堀(福住の東(右)側)、八幡堀(富岡八幡の東(右)側)も同様。さらに商船大学の北(上)にある古石場川も親水公園化している。

門前仲町は幕末では「永代寺門前仲町」として表記されている。明治初年には永代寺寺域は公園として既に書かれており、廃仏毀釈の影響を読むのであろうか。一方現在は、富岡八幡、さらには深川不動(成田山別院)の門前となる。
ところで最後に「仲町」は「なかちょう」であって「なかまち」ではない。
関西では例えば「本町」は「ほんまち」と読む。ところが東国は「ほんちょう」と呼ぶようだ。河原町は「まち」であるし、有楽町は「ちょう」である。とはいえ東京競馬場最寄駅の府中本町駅は「ほんまち」であったりして一概ではない。まあこの例は府中が、その呼称から分かるように、武蔵国にあっては律令時代まで遡れる数少ない土地であることまで考慮すると、例外なのかもしれない。
「広重 名所江戸百景」から「深川八まん山ひらき」
深川の永代寺は富岡八幡の別当として隅田川東岸では最大の寺地を有していた。その庭園の公開が年に一回行われていたようである。絵には桜とつつじを一斉に咲かせている。奥に富士塚が見え、「富士登山の解禁」である旧暦六月朔日の山開きと、庭園の公開を懸けているとされる。奥の富士塚は昭和四十(1965)年に潰され、駐車場になったとされる。