samRai web!へ戻る main Entrance
護国寺 雑司ヶ谷 音羽
早稲田 江戸川橋
小石川 植物園 白山
伝通院 春日
下谷 谷中 根岸
湯島 上野
浅草 吉原 今戸
浅草 業平橋
牛込 戸山 矢来町
曙橋 市ヶ谷
九段 飯田橋 水道橋
番町 神保町
神田 秋葉原 鳥越
神田 小伝馬町
本所 蔵前 石原
両国 錦糸町
赤坂 信濃町 四谷
外苑 青山一丁目
麹町 半蔵門 皇居
溜池 霞ヶ関
京橋 日本橋 兜町
銀座 八丁堀
深川 清澄 扇橋
門前仲町 木場
麻布 西麻布 六本木
広尾 麻布十番
神谷町 新橋
赤羽橋 浜松町
築地 築地 月島
豊海 晴海
越中島 越中島 塩浜
豊洲 辰巳

安政6(1859)年 分間江戸大絵図 明治11(1878)年 実測東京全図
昭和52(1977)年 現代東京市街図 昭和4(1929)年 帝都復興 東京市全図
参考・令和(21世紀) GoogleMap
両国
「広重 名所江戸百景」から「両ごく回向院元柳橋」
薬研堀にかかる元柳橋。「元」が付くのは、神田川河口に柳橋が架橋されたことによる。 手前は相撲櫓の触太鼓。相撲興行は寛文年間(17世紀中葉)に寺社奉行の許可が出、 両国回向院に定場所となるのが文政年間(1820年代)だという。
「広重 名所江戸百景」から「両国橋大川ばた」
両国橋の両国とはよく知られるように、下総国と武蔵国を渡したところから来ている。 現に両国駅は総武本線の駅でもある。 両国橋は明暦大火(明暦三(1657)年)以後の本所開発の要となる事業で、当初は単に大橋と呼ばれた。 両国橋両詰の賑わいは現在からは想像を逞しくする必要があるが、江戸東京博物館の常設展示の模型で往時を偲んでもよい。 大川端とは江戸市中からみて隅田川東岸を指す言葉だが、現在では両国一帯というよりは、 リバーシティの影響で、月島から佃あたりを指すような印象が強い。
「広重 名所江戸百景」から「浅草川大川端宮戸川」
両国橋下の舟上から上流を臨んだ絵とされる。 手前に二組の大山講の社中が描かれ、ここで禊をしてから大山に向かうのが、夏の行事だったようだ。 浅草川、宮戸川はそれぞれ隅田川の別称で、 浅草川はこのあたりの右岸(西岸)に近い方、宮戸川は浅草に架かる大川橋(吾妻橋)から上流。また大川端は東岸一帯を指す。
「広重 名所江戸百景」から「両国花火」
花火の打ち上げは両国橋の夕涼みに欠かせないものであった。 花火は始め全てが輸入物だったが、万治年間から鍵屋弥兵衛が製作を始め、 17世紀後半には大きな花火も試作されるようになった。 享保十八(1733)年、将軍吉宗は疫病と飢饉を払うため、両国橋で花火を打ち上げることを鍵屋に命じた。 旧暦の五月二十八日のことで、以後川開きとして恒例化した。