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「広重 名所江戸百景」から「高田の馬場」 |
高田馬場は現在ではそれだけで地名であるが、原義は高田村にあった馬場に過ぎない。
三代家光がこの地に馬場を築かせ、幕臣の弓馬調練の地とした。
しかし何といっても赤穂浪士になる前の堀部安兵衛武庸が義理の叔父の助太刀をした場所で名高い。
現在では早稲田通り沿いの一角に過ぎない。
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「広重 名所江戸百景」から「高田姿見のはし俤の橋砂利場」 |
「俤」という漢字はなかなか使わない。読みは「おもかげ」。
と来れば「面影橋」となり、早稲田にある面影橋と来れば、都電の停留所名にもなっている。
新目白通りが近くを通る神田川に架かる橋である。
一方の姿見橋は混乱がある。面影橋に改称する前の橋名とも、付近の水路に架かる橋とも言われる。
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