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「広重 名所江戸百景」から「深川万年橋」 |
深川を貫通し、総州へとつながる小名木川の河口に万年橋がある。北斎の絵(「富嶽三十六景」のうち「深川萬年橋下」)でも知られるように太鼓橋の形状をしていたが、この絵ではそれは感じられない。前記した北斎も万年橋とともに富士を描いており、なぜか万年橋には富士が合わせられる。現在では深川から富士を仰ぐことを恐らくできないだろう。
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「広重 名所江戸百景」から「みつまたわかれの淵」 |
三俣は万年橋のすぐ対岸。隅田川が湾曲し、箱崎川を分ける場所である。現在は日本橋中洲で陸化しているが、江戸期には一旦開発され(安永元(1772)年完成)、両国広小路に代わる繁華な歓楽地となった。その後、松平定信が老中になると風紀取締のため水没させられた。明治19(1886)年に東京府の干拓事業として再び陸化し歓楽街となったようだが、現在は清洲橋のたもとの、余り省みられることのない街になっている。
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「広重 名所江戸百景」から「大はしあたけの夕立」 |
現在の新大橋にはこの絵のレリーフが嵌めこまれている。ゴッホもこの絵を油彩で模写した。あたけ(安宅)とは、幕府所有の巨大木造軍艦「安宅丸」1700トンが天和ニ(1682)年に解体されるまで、御舟蔵に繋留されていたことから、このあたりはそう呼ばれ、現に明治から戦前まで地図には安宅町と記載されている。現在は江東区新大橋一丁目という少し漠とした地名がついている。
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