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安政6(1859)年 分間江戸大絵図 明治11(1878)年 実測東京全図
昭和52(1977)年 現代東京市街図 昭和4(1929)年 帝都復興 東京市全図
参考・令和(21世紀) GoogleMap
霞ヶ関 現在でこそ、政府機関と同義語になっている霞ヶ関一帯であるが、幕末は外様大名の、上の下か中の上ぐらいに有名どころの大名の上屋敷が並んでいる。どうしてこう凝集したのか、何か理由があるのであろうか。まず現在の日比谷公園あたりに松平大膳(長州・萩・毛利家)と松平肥前(肥前・佐嘉・鍋島家)が見える。明治初年での陸軍の練兵場を経て、日比谷公園となる。
その内堀に沿って西(左)側に上杉弾正(出羽・米沢)がある。これまた軍用地を経て、現在の法務省などの敷地となっている。さらに西(左)側に行くと、松平安芸(芸州・広島・浅野家)と松平美濃(筑前・福岡・黒田家)が並んでいる。それぞれこれも軍用地を経て、自治省(2001年からは総務省)、運輸省・建設省(2001年からは合併して国土交通省)、大蔵省(2001年からは財務省)といった官署地となっている。
その他の有名どころの外様大名はどのあたりに上屋敷を構えていたのだろうか。同格ぐらいの岡山、鳥取の両池田家や、土佐・山内家はいわゆる丸の内にある。しかしこれらを超える規模の加賀・前田家、仙台・伊達家、薩摩・島津家は別格というわけではないのだろうが、やや江戸城から離れた場所に上屋敷を構えている(それぞれ本郷、汐留、田町)。いわゆる御三家の尾張家(市ヶ谷・今の防衛庁)、紀州家(赤坂・今の赤坂御所)、水戸家(後楽園・今の東京ドーム)と比べても格別に遠いというわけでもない(ちょっと薩摩が遠いような気もするが)。

明治初年は政府機関というより、東京府庁が見える。これは戦前では日比谷公園南端の市政会館になり、現在は日比谷公会堂につながる。

外堀通りは実は外堀を通っているわけではない。昭和4年の地図を見ればよく分るように、今のイイノホール(戦後地図では飯野海運とあるビル)の前あたりが堀になっており、新橋駅前の第一ホテルは堀の跡に建設されていることになる。また帝国ホテルは既に現在地に位置している。なお当時の建造物は愛知県犬山市の明治村に移築されていることは周知のとおりである。その南には現在は第一勧業銀行本店が位置しているが、戦前地図では見にくいが、日本勧業銀行の文字が見える。戦後地図と比べても四半世紀経っている。街区等に変わりはほとんどないが、同様な例は内幸町の日本電信電話公社(今はNTTコミュニケーションズ)や日比谷の三井銀行(今はさくら銀行)などがある。銀座側にはリッカー会館などの活字も見られるし、右端には日劇(現在のマリオン)とも書いてある(ちなみに戦前は東京朝日新聞)。
中央省庁も実はかなり変わっていることが分かる。現在の高裁などがあるところには拓殖省という時代を感じさせる役所があるし、法務省も昔は司法省といっていたようだ。その南の農水や厚生などの一角は、戦前は海軍省及び海軍軍令部である。さらにその南(通産・郵政)は貴族院及び衆議院であった。国会議事堂が東洋一(!)の高層建築物が完成するのは昭和8年のことである。
ちなみに戦前の霞ヶ関にいない官庁をざっと見ると、ほとんどが大手町にある。逓信省(現・郵政省)は現在の逓信博物館の一角。農林省は現在の農協ビル。内務省(現在の自治省)、大蔵省は現在の三井物産のあたりだったようだ。商工省(現在の通産省)は木挽町十丁目(現在の銀座六丁目、昭和通り沿い。現在の電源開発本社)前記した省庁再編後の中央官庁名も、時の移るにつれ、今は酷評されているが、馴染んでいくのであろうか。
「広重 名所江戸百景」から「霞かせき」
新年の景。浅野家(松平安芸)と黒田家(松平美濃)の間から銀座方向を望む。現在は国土交通省(運輸省・建設省)と外務省の間
「広重 名所江戸百景」から「山下町日比谷外さくら田」
山下町は現在の数奇屋橋近辺の町屋。現在の泰明小学校近くのガード下が山下橋のあと。正面は鍋島家(松平肥前。佐嘉36万石。現在の日比谷公園)。左側の阿部播磨(奥州白河10万石。現在の帝国ホテル)。右側の石垣上には牧野越中(常陸笠間8万石。今の日生劇場)。今の帝国ホテルと日生劇場・宝塚劇場(現在は改装中。有楽町1000days劇場で営業中)の間に濠や大路があったとは想像しにくい。