|
「広重 名所江戸百景」から「廓中東雲」 |
遊廓の入り口。時間は春の曙である。見送りを受ける帰り客は頭巾で顔を隠そうとしている。
赤い派手な打掛の妓女は黒塗りの駒下駄をしているところを見ると、格が高いようだ。
|
|
「広重 名所江戸百景」から「よし原日本堤」 |
日本堤は元和六(1620)年に築かれた。明暦大火の前年には、当時日本橋にあった吉原に転地が命じられ、
大火後、現在地に移転してきた。このとき日本堤も作り直された。
日本堤の「日本」は本来は「二本」で、隅田川の堤防に次ぐ、二本目の堤だという。
|
|
「広重 名所江戸百景」から「浅草田圃酉の町詣」 |
吉原の妓楼から鷲大明神(鷲神社)の酉の市に詣でる人の波を見る。
酉の市は吉原にとっては紋日にあたり、廓の門は全て開かれ、
遊女は必ず客を取らねばならない習慣にだったそうだ。
遊女本人は昼見世を終え、屏風の向こうで息抜きをしているのだろう。外の喧騒に静かな猫を配している。
|
|