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「広重 名所江戸百景」から「上野清水堂不忍ノ池」 |
寛永寺の清水堂は不忍池の展望所である。寛永寺は天海僧正により比叡山を模して建立された。
山号の東叡山は東の比叡山の意味であるし、延暦年間に創建された延暦寺に倣い、
寛永年間にの建立に因んで寛永寺とした。延暦寺が京都の北東にあるように、寛永寺は江戸の鬼門を封じた。
清水堂は清水寺を、不忍池は琵琶湖を、弁天堂は竹生島を模している。
なお左の枝が円を描く「月の松」は「上野山内月のまつ」としてもう一度描かれている。
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「広重 名所江戸百景」から「上野山した」 |
広小路が上野の山にぶつかって東に向きを変えるあたり。山内の黄色くたなびく「すやり霞」は桜が満開であることを示してい、
左下の女日傘の一行は御殿女中の花見を兼ねての寛永寺への代参であろう。
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「広重 名所江戸百景」から「下谷広小路」 |
手前の呉服屋は伊藤松坂屋。現在もそこに百貨店がある。
服装がまちまちだが揃いの日傘の一行がいるが、山内にかかる赤みを帯びた雲が桜を暗示し、そこへの花見と推定される。
特筆すべきは手前の侍だがズボンをはいている。黒船は既に来ていた時代なのである。
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「広重 名所江戸百景」から「上野山内月のまつ」 |
不忍池の南東にある。一名「なわの松」とも言ったそうだ。
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「広重 名所江戸百景」から「湯しま天神坂上眺望」 |
湯島天神と不忍池の比高は17メートル。湯島天神坂上から不忍池を臨む。
湯島天神は菅原道真のお告げを受けた太田道灌が文明七(1456)年に再建したとされ、家康入府以前からの古社とされる。
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