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「広重 名所江戸百景」から「吾妻橋金竜山遠望」 |
花吹雪が舞い、舟は山谷堀口に向かっている。浅草寺五重塔と大川橋ともいう吾妻橋が臨める。
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「広重 名所江戸百景」から「駒形堂吾嬬橋」 |
駒形堂は、浅草寺の山門が建っていた川端にある。現在の駒形橋西詰。
浅草橋の山門は有名な雷門だが、往時は河岸にあったのだろう。
さて駒形堂の上空にほととぎすが描かれているのは、意図的である。
吉原の花魁・高尾太夫の「君はいま駒形あたりほととぎす」が枕にある。
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「広重 名所江戸百景」から「猿わか町よるの景」 |
猿若町は江戸でも特別な街である。芝居小屋だけが集まる街である。
幕府許可のもと歌舞伎の中村座・市村座と操り人形の薩摩座は日本橋堺町と葺屋町で興行を行っていたが、
天保十二(1841)年の日本橋一帯の火事により焼失した。老中・水野忠邦は改革を断行中であり、
小屋の再建を認可せず、取り潰しを図ったが、浅草に代地を用意することで決着し、浅草寺と待乳山の間に移転した。
江戸歌舞伎の祖と言われる初代中村座座長・猿若勘三郎に因み猿若町と名づけられた。
南から中村座・市村座・森田座(木挽町から移転)が並び、錦絵には珍しい月明かりと影法師が、
むしろ明治的な井上安治的な世界に誘う絵になっている。
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「広重 名所江戸百景」から「浅草金竜山」 |
金竜山浅草寺は江戸の古刹である。起源は推古天皇の三十六年(628)、
隅田川の漁師の兄弟が打った網にかかった観音像をこの地に祀ったことに始まるという。
雷門から仁王門・五重塔を臨む、紅白の景となっている。雷門は慶応元(1865)年焼失した。
また浅草寺自体も昭和二十年の空襲で焼失した。本堂は昭和33年、雷門35年、仁王門39年、五重塔48年にそれぞれ再建された。
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