安政6(1859)年 分間江戸大絵図
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須原屋茂兵衛版。数ある江戸古地図のなかでもっとも大きなものとして有名である。郊外をのぞいて、地形は正確に描き出されており、幕末の江戸の町並がよく写されている。
どの時代でもそうだが、中心部の御城(=皇居)がまず目を引く。それに御三家や大大名の武家地の広大さも次ぐ。一方朱塗られている土地は寺社地で上野(寛永寺)から浅草(浅草寺)にかけてと芝(増上寺)は言うに及ばず、外堀の向こうは寺だらけかつ敷地も広いことに驚かされる。しかし外堀以内は、溜池の山王社、築地の西本願寺とせいぜい兜町に見える(これも山王社)程度に過ぎない。
いわばそれらに挟まって、番町を典型とする旗本地と日本橋周辺を典型とする町人地があることになる。
この江戸の範囲を囲んで田畑が広がっている。この地図でも向島や浅草寺の北側(池波正太郎さんの小説によく出てくる「奥山」)、さらには護国寺周辺にある。
また溜池はもうないにしても、各水路網が今に至って、東京の骨格を形成しているといえよう。しかし細かく見れば、隅田川、不忍池や四谷から御茶ノ水、浅草橋にかけての外堀のような大水路は現存するが、中小水路は各種道路に変貌したことは、よく指摘されていることである。
取っ掛かりのない方は、東京の水路網の変容を追うことから始めてみてはいかがでしょうか。
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