永禄十年 (1567) |
陸奥・伊達晴宗三男・政景、留守家に迎えられ家督継承 |
1・陸奥・佐竹義重、白川城(結城義親)を包囲
2・下野・佐竹義重、烏山城(那須資胤)を攻め敗れる
7・下総・正木時忠、小見川城を放棄
8・上総・里見義弘、三舟台で北条軍を破る |
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10・上野・武田信玄、惣社城攻略
10・甲斐・武田義信自刃。信玄、夫人を今川家に返す |
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3・伊勢・織田信長、滝川一益に伊勢北部諸城を攻めさせる
8・美濃・西美濃三人衆、織田信長に内応。信長、稲葉山城(斎藤龍興)を攻略。ついで同城に移り岐阜と改称 |
2・河内・三好義継、三好三人衆と不和。松永久秀を頼る
次いで高屋城主・三好康長、安見直政も松永方となる
4・大和・松永久秀、三好義継を擁し信貴山城に入り、次いで多聞山城に移る
4・大和・三好三人衆、奈良に出陣
7・大和・松永久秀の兵、三好三人衆に内応し、東大寺戒壇院を焼く
8・和泉・根来寺衆徒、和泉に出陣。松永久秀に応じる
9・大和・河内・根来寺衆徒、大和幸田城次いで河内烏帽子城を攻め敗れる
10・大和・松永久秀、三好三人衆を東大寺に破る。大仏殿に兵火にかかる |
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備前・三村元親、備中国人をを結集し、明善寺で宇喜多直家と戦うが敗北。以後宇喜多軍、備中に侵攻
筑前・肥前・毛利元就、秋月・筑紫・龍造寺各氏らに策動し、大友氏から離反さす |
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4・肥前・秋月種実軍、祇園岡で大友義鎮軍と戦う
6・筑前・高橋鑑種、毛利氏を後盾に大友家に謀叛。秋月・原田・筑紫・宗像・龍造寺、これに同調
7・筑前・戸次鑑連、高橋属城・岩屋城を攻略
7・肥前・筑紫広門、三条城に拠り、高橋鑑種に応じる。大友軍これを攻撃し降す
8・筑前・戸次鑑連、甘水長谷山で秋月種家を破る
9・筑前・秋月種実軍、休松で大友軍を破る。(休松合戦)
10・筑前・大友義鎮軍、冠村で宗像氏貞軍と戦う |
肥前・龍造寺隆信、大友から離反 |
春・日向・島津忠良と伊東義祐が講和
5・日向・島津忠良軍、新山で伊東義祐軍を破る
大隅・島津貴久、菱刈属城・馬越城を攻略 |