日本一巡~晴行雨読~ 利尻富士から歩いて薩摩富士へ
第13日
 烏山 龍門の滝・那須国造
 2016年07月07日(木)
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(1)龍門の滝
 今日は烏山線滝駅から前回、薄暗い中での見学だった龍門の滝再訪から始める。その後那珂川に沿って北上し、今では大田原市に吸収された黒羽を目指す。烏山線のダイヤの都合もあるので新幹線を使って、前回中断点の滝駅に向かうことにした。東京駅でいろいろな新幹線電車を見るのは楽しい。少年のように気持ちが浮き立つ。せっかく普段より金をかけてしまうのだから、楽しまないともったいない。宇都宮に停車する新幹線から選ぶことになるので山形行きの「つばさ」を待つが「はやぶさ」や「かがやき」などをカメラに収める。上野地下駅、田端・王子あたりの展望、埼京線との併走、大宮以北の田園地帯を駆け抜けて、あっけなく宇都宮に着く。緯度でいえば前回にはるばると乗り換えて到着した茂木駅を同じくらいに1時間ほどで到着する。
 宇都宮から烏山線直通列車に乗る。これが新車である。非電化区間を走る電車である。バッテリーの技術が追いついてきたのか蓄電池電車EV-E301系というのだそうだ。電車内の案内板に拠れば、電化区間ではパンタグラフから電気を取り入れ電車として走りつつ充電を行い、非電化区間は蓄電池の電力で走行。終着駅では電力会社から配電を受ける変電施設があり架線から充電するのだと言う。非電化区間が余りに長い場合や急勾配が多く含まれる区間だと充電量との関係で導入できないのであろうが、電化幹線からの適度な距離の非電化支線には導入できるのであろう。そういう条件としては烏山線は典型的な路線なのであろう。通学時間には少し遅い電車にも高校生もいるにはいるが、大部分は会社員や行楽目的と思われる元気なお年寄りで車内は思いのほか混雑している。しばらく東北本線上を走り宝積寺駅で少し停車し、上り電車を行き違いをしてから非電化の烏山線に乗り入れる。途中の仁井田駅前にある県立高根沢高校の生徒を降ろしたあとでも、会社員やおばちゃんたちはまだ席に残っている。車窓は関東平野から丘陵地帯に変わるが険しいわけではない。淡々と上り下りする。少し開けてきたと思ったら滝駅に着いた。どうやら多くの客が烏山までいくらしい。滝駅に降りたのは私ひとりである。
 よく晴れた無人の県道を龍門の滝に向かって歩き始める。色とりどりの花が畑に咲いている。滝への道は既に前回学習済みで、難なく到着する。水量の多い落差のある滝である。なかなか見ごたえがある。案内板に拠れば落差20m、幅65mだという。百名瀑には数えられていないが市街地に近い場所での存在は価値がある。しばらく堪能する。滝の前に中瀬があり、小石が点在しており歩いて対岸に渡れるようになっている。遊具にかなり年季が入っているが対岸は公園として整備されている。そのまま公園を抜け急な坂道を上がると、車道へ出る。前回の旅行で滝への短絡路と手書きの看板があった場所に出る。ここから烏山市街に向かうのだが、前回通った道を逆に進むこともできたが、駅に戻ってから山越えをして市街に入る道を通ることにした。駅から滝までの明るい畑をもう一度見たいと思ったからだ。
 今日2度目の滝駅を越えた先のわき道を入ると、直ぐに上り坂となる。ところで2016年7月は10日(日)に参議院議員通常選挙の投開票が行われている。今日は7日(木)なので選挙戦も終盤である。ここ栃木県の国会議員といえば、渡辺美智雄をまず最初に思い浮かべることのできた時代があり、その息子・渡辺善美が地盤を引き継いでいる。紆余曲折があり「みんなの党」の掲示板に「おおさか維新の会」の比例代表候補として「わたなべ善美」候補のポスターが堂々と掲示されている。みんなの党は分裂・党名変更・民主党と合流のうえ民進党と改名したはずだが、組織でなく「ひと」に関連づいているのであろう。渡辺議員はこの選挙で参議院議員としては初当選した。
 さて坂を登りきると広い敷地の烏山中学校がある。職員は乗用車で通勤できるのであろうが、通学は大変だろうと思われる。そこから市街に向かって斜面を下る通学路がある。車輌は来なさそうだが昼間でも暗い印象である。街路灯はあるようだが、事故のないことを祈らずにはいられない。斜面の中腹まで降りてくると、木々の間から烏山市街に広がる屋根の海が見渡せる。特に目立った高層建築はない。那珂川に架かっているのであろう斜張橋が目立つ。坂下に下りてくると、路地裏に迷い込んだようになる。車輌の通らない道につながるのだから致し方ない。国道に出ることなく、このまま普段着の道を進む。左側に城山を臨みながら、市街を進む。モルタル2階建ての立ち並ぶ昭和臭の濃い街路を進む。時折、広い敷地の地元の名士のものと思しき屋敷があるが、昼下がりの地方都市には変化が欠しい。赤い車体の郵便バイクが唯一のアクセントとなっている。気分が乗れば山に挑み、烏山城址を訪れることも考えていたが、このまま淡々と先を行くことにする。
 夏の日は中天に上がり容赦なく照りつける。烏山市街もようやく尽き、国道294号線に合流する。国道では直射日光を遮るものがない。時々古くから存在するであろう集落を通過し神社(八雲神社(大桶天王社))などもあるが、今日は移動日と割り切らざるを得ないようだ。鮎料理を出す店で昼食をと思うが地方の二流国道沿いには入ってしまえるような店がない。というよりそもそも店がない。昼食を毎日供給することで事業が成立するだけの需要がないのであろう。せっかく那珂川まで来て、腹を空かせて旺盛な需要が、ここに存在しているはずだが、取引が成立しないことになっている。国道を離れ、広い敷地の運動公園(大桶運動公園)の方に来たが、平日ではまったく人がいない。国道に戻るが、寄り道していたため国道をそのまま進んでいれば立ち寄ったであろうコンビニを迂回してしまったようだ。戻るのも癪なので、そのまま進む。するとふいに国道脇の高台に寝台車が並んでいる場所に出くわす。このあたりにJRの線はないはずなので、愛好家などが譲り受けたものなのであろうが、下から見上げる限り手入れされているようだ。小振りなヒマワリの群落もあり、夏の旅の雰囲気が濃厚である。
 途中から国道の本線は曲がってしまい、道なりに進んでいると印象がまた田舎道を歩くように変わる。規格が違うのだから当然である。国道がなぜ迂回しているのかわからないが、そのためかつての小川町、現在の那賀川町の辻町では町屋の建物が思いがけず見られた。そして更に進むと車輌が走れる道は絶えてしまい路地裏から畦道を行くようになる。青々とした水田に鷺が舞っている。始めてこの旅で鷺を見たときからもう何回も見ることができている。案外とどこでも見られるものなのだと思う。ひとしきり鷺の舞を堪能してから先に進む。昼食をあきらめ始めていた。那珂川支流の箒川では、これもお馴染みの渓流釣りのおじさんが釣竿を構えている。お互いにそれぞれの趣味に没頭しているということか。ただ先方は市民権があるように感じるが、当方の単なる徒歩旅行では同行の志を求めるのに苦労するだろう。万人に通じるメジャーな趣味にしようとはまったく思っていないが、こちらの趣味はニッチなものだという自覚はある。

(2)那須風土記の丘
 烏山から黒羽までの行程の半ばは過ぎているが、途中の順路についてまだ実は迷っている。今日は特に那珂川を意識した旅程となっていないことが気になっている。川面を見ることなく淡々と通過していることが悔しいのである。関東地方のなかでは清流と言われる那珂川なのだから、もっと川を意識した旅程にしたいのだ。さてこの先に淡水魚を専ら扱う「なかがわ水遊園」という施設がある。海のない栃木県としては唯一の水族館だそうだが、せっかくなのでどのようなものだか見ていきたいと考えていた。しかし既に夕方の4時。日のある季節であるとはいえ、黒羽からの帰りのバス便を考えると立ち寄って見学する時間を捻出するのが難しそうなので、歩きながら迷っているのである。とはいえ、近くまで行ってみることにした。かなり広い駐車場が確保されているがまばらに停まっている程度である。開園時間が16時30分までのようなので、新たに入園することはできないようだ。売店ももう寂しい印象である。水族館の隣の敷地には栃木県の水産試験場があり、この水族館の立地について納得したが、単に駐車場を通過しただけになってしまった。しかし行程を迷っていたのは水族館だけでない。この辺りは古代の那須地方の中心らしく古墳もいくつかあり、むしろそちらに時間をとることと比較考量した結果、古代遺跡を優先したと言えるかもしれない。ここからは那須風土記の丘資料館を目指す。こちらは17時閉館である。施設は小規模だろうから若干の見学時間で足りるだろうとの判断である。
 そこへの途中、祈りの姿の小さな石仏があった。青々とした水田を背景に一心に祈っている風情である。ほどんど朽ちてないので新しいのであろうが、これから幾歳月と祈り続けるのであろうことを思うとき蝶や鷺などとはまた違った良さを感じた。さらに少し進むと今度は木彫りの精巧な犬の像がある。写実的なものである。こちらは少し塗りが剥げているので風雪が感じられるが、水族館に寄り道したお陰でよいご縁をいただけた。もっと進むと一軒の農家が目に入る。周りには水田が広がるだけで開拓農民のように見える。印象的な一本の樹木に寄り添っていて、単に表通りを歩く旅行者では出会えない景色である。わき道に入ればいつでもよい風景に出会えるというわけではないが、わき道にこそ醍醐味が隠れている。
 思いがけない眼福を得るとまもなく上侍塚(かみさむらいづか)古墳に出る。元禄期の水戸光圀が発掘を指揮したと言われ、大日本史編纂者としての面目躍如である。那須地方最大の前方後方墳とされる。農地に囲まれたちょっとした裏山という風情だが、そういう目で見れば祭祀空間であるような気もしてくる。柵も巡らされているのでそれ以上は立ち入らず敬意を払って後にする。すぐに国道に合流し、少し歩いて「なす風土記の丘湯津上資料館」に5時少し前に着く。素朴な資料館であるが、まだ開館時間内であるので入館する。那須国造碑がこの近くから出土しており、その展示が主である。碑は法隆寺に代表される飛鳥文化と東大寺などに代表される天平文化をつなぐ白鳳文化の時代に建てられた。西暦700年に、亡くなった国造の遺徳を残すため、その息子によるものだという。大宝律令の完成が翌701年なので、新秩序が立ち上がろうとする時代背景であるのであろう。奈良からはるかに遠い東の遠国のそのまた北のはずれに那須がある。那須といえば黒磯や那須高原のあたりを思い浮かべがちだが、那須郡の中心はこのあたりなのであろう。かつての烏山町は、平成の合併後、那須烏山市を名乗っている。それに対して違和感を覚える必要はなかったのである。5時を回ったので退館する。資料館の向かいに下侍塚(しもさむらいづか)古墳がある。先ほどの上侍塚古墳には劣る規模だそうだが、水田の中で独立しているので、こちらのほうが見栄えがする。守られた墳丘という印象である。松が群生しているが、これは古墳調査後の墳丘の崩落防止のため水戸光圀が命じたものだという。こういった伝承が残るところも名君ならではであろう。那須国造碑はそこから数分の場所にある。手続きをとれば拝観できるのであろうが、柵外から想像するだけにとどめ早々に後にする。
 もう黒羽まではあと少しという場所まで来た。那珂川に沿って北上しているものの、交通路の関係で那珂川にほとんど遭遇せずにきた。黒羽から先は那珂川に瀬を向け茨城県への山越えに向かう予定である。そのようなこともあり、また国道を離れ、わき道に入る。段丘上から下がる坂道を進むと、水田が広がる。オレンジ色のオニユリがアクセントを添えている。川原までいくと今度はヒメジョオンの群落である。このような少しの寄り道をしてから黒羽の市街に入る。今日は結局、一食抜いてしまった。コンビニを探すがここでも見当たらない。誤算である。黒羽の中心地は那珂川を挟んだ向かい側にある。トラスの歴史を感じる那珂橋を渡る。道幅が狭い。その点でも歴史を感じる。かつての規格なのであろう。日の長い季節とはいえ既に6時30分を回っている。人通りが少ない。田町ロータリーと呼ばれるバスターミナルまで来てはみたが、周りの店舗はシャッターが下りている。少し付近を歩いてみたが食料品を売っている店はない。しかたない。体を休めつつ薄暮のなかバスを待つより他はない。ロータリーの中心には火の見櫓がある。少し不思議な配置だ。消防署の跡だったように感じるがわからない。ここからの西那須野駅行き東野交通バスは19時01分発。那須塩原駅行きの大田原市営バスは19時05分発である。在来線で帰るのだが那須塩原駅行きを選ぶ。少し雨が落ちてきた。釈然としない思いでいると、高校生で満員のバスがやってきた。黒羽高校の生徒が満載されている。どうにか乗せてもらう。とても車内で弁当という状況ではなかった。バスは途中のバス停であまり高校生を降ろさず、水田のなかの県道を快走した。夜の帳が下り、那須塩原駅内のコンビニで慌てて弁当を買った。宇都宮行きの電車に乗り込み、やっと空腹を満たせた。    


(注釈文未了)
c001 烏山線蓄電池電車EV-E301系アキュム
c002_1 龍門の滝
c002_2 龍門の滝
c003 関東ふれあいの道
c004_1 烏山城址
c004_2 烏山城址
c005 大桶地名の起源
c006 大桶天王様の由来
c007 富士山古墳/那須八幡塚
c008 関東ふれあいの道(旧東野鉄道跡)
c009_1 上侍塚古墳
c009_2 上侍塚古墳
c010 那須国造碑の時代(なす風土記の丘資料館にて)
c011 下侍塚古墳
c012 那須国造碑


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2016/07/07
 11:00 龍門の滝
 16:30 那須風土記の丘資料館
 18:40 黒羽田町ロータリー


歩行距離:約25km