日本一巡~晴行雨読~ 利尻富士から歩いて薩摩富士へ
第10日
 筑波山遠望・高田専修寺
 2016年06月14日(火)
 photos


第9日 << | 全行程 | 栃木県 | samrai web! | >> 第11日

(1)小金井駅から久下田駅
 今日も前回に引き続き高田専修寺を目指して歩く。JR小金井駅の西側は日光街道に沿った既成市街地となっているが、駅裏となる西側は最近なって区画整理された雰囲気が濃厚である、晴天であるので、ますます陰影が乏しく、平板な新興住宅地という趣となる。一直線に東へと向かう。植栽にこだわりのある住宅もあり、きれいな配色をしたあざみが目を楽しませてくれる。15分ほど歩くと住宅街が尽き田園となる。土地が余ってくるせいなのか、石材店の商品が道路わきに野ざらしとなっている。四角柱の墓石のみならず、たぬきやフクロウを彫り込んだものもいくつかある。写実的というよりデフォルメされているだが、なかなか巧みにできている。さらに少し行くと、従来から在ったであろう集落となり、路傍の巨木に目が行く。銘盤に拠れば楓だという。いまは青葉の盛りであるが、晩秋には近隣住民を楽しませることになるのだろう。畑も見られ、濃い色をした葉の陰に、小ぶりのかぼちゃがなっていた。かぼちゃといえば、秋に生るのであろうから、秋までじっくりと大きくなっていくに違いない。
 地図上の知識としてはわかっているつもりだったが、唐突に国道4号線バイパスに突き当たる。大型トラックが行き交う現代の奥州街道である。バイパスからは高田専修寺のある旧二宮町への県道をゆくことになるが、じめじめとした雑木林のなかをいくようになる、そのためか水芭蕉のような花の群落にであう。花の知識がないのは、こういうときにもったいない。感激が何割か割引される気さえする。雑木林を抜けると逆に埃っぽく荒れた感じになった。ロードサイドの中古車販売店も見慣れたチェーン店でなく地場の小資本の業者のようだ。1960年代風の外車が少し朽ちて2台並んでいる。ボンネットにVOLVOの文字が並ぶ。しばらく進むと低地への下り坂になる。右に旧道を分けるようだ。坂下で合流するようであるので迷わず旧道をゆく。すると木立の中、路傍に梵字が刻まれた石塔が見えてきた。坂道が下ろうとする坂の上にそれはあった。東根供養塔と刻銘されている。弔われているのは、先の大戦の戦没者でも、戦国乱世の敗者でもないようだ。説明板によれば鎌倉時代(1204(元久元)年)に、ある夫妻が両親の菩提を弔うために造立した、と記述されている。眼下のムラを見守るように設置されたのだろうと思われる。さらに筑波山を仰ぎ見ることのできる場所で、当時近隣一の景勝地だったのであろう。
 坂道を下ると、雑然としたバラ立ちの建築物が散在していた近郊地帯から、太古より鬼怒川が削り育んできたであろう低地となった。田園の風景となる。アスファルト舗装の現県道からコンクリート舗装の旧県道を進む。現県道では平日昼間の少ない通行車輌だったものが、田園の旧県道では皆無となった。集落に入ると手入れされた薬師堂があり、幾年月変わらぬ生活があったのだろうと思われる。現県道に合流し交差点に立つコンビニで昼食を買う。準備万端で鬼怒川越えを迎える。前回、思川を越える際に生活道路のような細い橋を越えた。今回も現県道に並行して旧道の橋があるようである。ふたつ架かっているなら旧橋を進みたい。鬼怒川を長々と越す現道から側道に入る。郵便配達のバイクが追い抜いていく。この先に住民がいるということだ。旧道はどういう加減になっているのか一直線に川に向かう現道の下を何度も横切った上に、原野の森の中を進むようになる。原野のなかにも栃木県道44号栃木二宮線の標識、いわゆるヘキサゴンがあり、かつての県道の一部だったことがわかる。今では不法投棄を禁ずる立て札が林立し、ジュースの缶やペットボトル、粗大ごみが延々と続いている。自然の営みに目を向けると、つる植物がやたらと林立する木立に巻きついており、原野の雰囲気を一層引き立てている。ようやく原始林と抜けると、なにが植えられえているのか畑がある。きっと氾濫原なのだろうと思うが河道から離れているので問題ないのであろう。標識などないが見当をつけて舗装道路から舗装のないわき道に入る。水溜りを注意して進まざるをえないような道である。川原への踏み分け道を進み、丸い礫がごろごろする川原へ出る。上流方向、下流方向を見ても橋がある様子は感じられない。下流側へ歩きづらい川原を進んだが、橋脚と思われる残骸をいくつか発見しただけだった。覚悟を決めることになってきたようだ。川原の岩に腰を下ろし弁当を食べ始めざるを得ない。
 来た道を戻るより他なく、つい先ほど歩いた道のりを巻き戻す。ゴミの散在する原始林を再度通過してから鬼怒川に架かる長大橋を渡り始める。今度は原始林や川原を眼下に収め真っ直ぐに進む。筑波山もはっきりと見える。鬼怒川を渡り終えた。しばらく進むと電柱に高い位置に青いテープが巻かれている。最大浸水深だという。地上から2mの位置を指している。本当なら大変なことだ。鬼怒川が氾濫すると、そこまで浸水するのだという。家屋もあるのだが、専ら田畑である。既に真岡市域に入っているようで、真岡市の防災当局による掲示である。信憑性の裏づけがあるのだろうが俄かには信じがたい。更に進むと浸水深0.5mと表示されている。やはり推定根拠のあるものなのであろう。再び一枚が大きな田んぼが広がる地帯となり県道が一直線に東へと延びている。田んぼの真ん中に石造りの小さな社が祀られているものがあった。6月中旬なので、まだまだ穂は小さなものだが秋の豊かな稔りを願わずにはいられない。県道は直角に北に折れたが道はさらに東に進むことができる。眼前に小高い丘が見えており、それに突き当たるまで進もうと堂々と直進する。車輌の数が減るので歩くには好都合である。それでも鬼怒川の氾濫原も限りがありやっと田んぼが尽きる。左に曲がり少し坂を上る。集落を通り抜けたところで県道に合流する。坂を下ると唐突に市街地となる。先ほどまでの田園風景が嘘のようだ。国道294号線との交差点には駐車場の広くとれない市街地特有のコンビニもある。久下田の街に入った。

(2)久下田駅から高田専修寺
 再び坂をあがると、人通りの疎らなメインストリートとなる。街路灯には薪を背負った少年の人形が載せてある。二宮金次郎なのであろう。くりっとした目はレトロな昭和のマンガそのままである。その下のポスターには女の子のキャラクターが描かれている。かつての産品である綿花と、いまの主力産品の苺(とちおとめ)をシンボライズしているようだ。コットベリーちゃんと言うそうだ。駅への道を行き、真岡鉄道・久下田駅に着く。ロボットの顔を思わせる。思いがけずディーゼルカーがやってきた。濃淡のある緑の市松模様に赤のスカートという斬新なペイントだった。アメリカ的な雰囲気を感じる。駅はローカル線そのものであるのだが、周囲に人家があり駅近の住宅街に見えなくもない。ただ住宅はすぐに尽きてしまった。台地を下ると今度は五行川の氾濫原となる。大根田橋で一跨ぎすると、楼門だけが残された長英寺跡に出る。中世の久下田城主・水谷蟠龍斎(正村)が保護したとされる。蟠龍斎はローカルな存在ながらも豪傑だったようで、結城家家臣でありながら実力を蓄えたようだ。正村の隠居後、弟の勝俊が結城家から独立。東軍に付き下館藩立藩。後嗣は備中成羽、松山(高梁)と移封された後、末期養子の禁に触れ除封。ただし家名存続し旗本として明治維新を迎えたらしい。
 五行川が育んだ水田もやがて丘に突き当たり、また北に折れる。まだ丈の低い稲に白い鳥が見え隠れしている。鶴の野生種は釧路にしかいないそうだから鷺なのであろう。青々とした水田は列車の車窓からでも見ることができるが、そこに動物相が加わるのは歩き旅ならではだと思う。時間の許す限り、ずっと待っていてもよい。なかなか飛び立たないが、じれったくも待つ。カメラの倍率を高くしてシャッターチャンスを狙うが思うようにいかない。上空に飛び立っても見つけられず、ピントもまったくあわない。動きのある写真を撮りたいと思うが本人の技量もカメラの性能も不十分だと思い知らされて後、先にいくことにする。水田をあとにして集落に出くわす。しかしどことなくひっかかる。これまでの集落と違い家屋や塀のつくりが裕福そうなうえに500mくらいの一直線の道の両側にそれが並ぶ。なにか特別の生業があり地縁で共有されているように感じる。ただし一見さんの徒歩旅行者にはそれを確かめる術はない。
 不思議な街村を抜けると工場があり、北関東自動車道が見える。右手に見える山越えをすると茨城県になるらしい。久下田からそうであるが栃木県でも最東南部になっており茨城県がすぐ近くにある。しかしまだ栃木県の東半分残しており那珂川を北へと遡上してから北部の黒羽から茨城県大子町に入ることになっている。北関東自動車道をくぐると高田の集落に入る。今日は一日延々と畦道を歩き、やっと専修寺にたどり着いた。鍵の手になった小道をいくと濃い色の木立のなかにやや小ぶりの山門があった。平日の夕方という条件でもあるのだが人っ子ひとりいない。専修寺は親鸞や浄土真宗の東国布教の拠点であり、真宗高田派の本寺らしく清澄な空間でわたしを迎えいれてくれた。風格ある楼門をくぐり、正面に如来堂、右手に御影堂がある。それぞれ江戸期の再建だということだ。それにしても幾世紀を経て今なおここに在る。大きな視点に立てば諸行無常なのであろうが、ささやかな時空間しか占められない一個人には、その永続性を疑うことはなかなか難しい。傍らのベンチに腰を下ろし、しばし休む。木の葉のざわめく音が聴こえてくるのであろうが、あまりそれも感じない。ただいくらかの時間が経過したのであろう。夕闇が迫るというほどではないが、日が中空にあるわけでもない。自然な営みとして夕方に向けた準備が始められている風情である。それが諸行無常なのかもしれない。裏手の森を抜けられるようなので、山門には戻らずに高田専修寺をあとにする。

(3)高田専修寺から北山駅
 今日の残された時間はあと2~3時間ほどである。高田専修寺の次の目的地は、栃木県北部の黒羽であり那珂川を遡上して進むことを考えている。もちろん今日中にたどりつけるわけもないので、どこかに旅の中断点を求めなければならない。さきほど久下田駅で交差した真岡鉄道は那珂川に至る道筋に乗っている。終点茂木(もてぎ)駅から分水嶺を越えていくことになる。従って今日の目的地は真岡鉄道上の駅となる。西田井駅までおよそ10km弱。2時間程度を要する。西田井の一つ先の北山もさほど離れていないので、まずは西田井を目指し時間を許すようなら北山に方向転換することも可能なようだ。そのような考え方で歩き始める。上り下館行きは7時20分ごろのようだ。旅先から各駅の時刻表を調べられるのは、本当に重宝する。宮脇さんが知ったらびっくりするであろう。あるいは旅の醍醐味が損なわれるとおっしゃるであろうか。
 県道と並行する路地裏とも畦道ともつかない細道を歩いてみる。GoogleMapがそれを最短経路として示しているのだ。車輌を避けないで歩けるのは嬉しいが、未舗装なので小石が靴裏から伝わる。しばらく進むと細道は舗装道路に突き当たって行き止まりとなった。そこからは県道に乗り換える。しかし数えるほどしか車輌は通らず腕時計の針の進み方だけに注意して進む。どうやら西田井でなく北山でも間に合いそうであったので分岐点を右手にとってさらに進む。専修寺を出て2時間近くになり曇天からの光が少なくなってきた。生徒は言うに及ばず先生も帰宅したような小学校と水田の間の道を早足で通り抜け北山の集落に入る。発車5分前ごろに辛くも間に合った。駅裏の空き地に何台か乗用車が停まっている。子どもの帰りに待っている親のようである。無人のくるまもあるが、ここから自分で運転して家路へと着くためのものであろう。無人駅ながらも自動販売機とトイレがあったので、それぞれ用を足した。前照灯を明々と光らせて真岡鉄道のディーゼルカーがやってきた。今日の歩行距離は長く、また気が急くままに早足で歩いてきたのでさすがに疲れを覚える。1時間ほどの車中をボーっと過ごす。真岡鉄道、JR水戸線ともに始めて乗車することになった。



■晴行雨読の話
■日本一巡の話
水系の話
■目的地の話
 >>伝統的建造物群保存地区
 >>日本百名橋
 >>日本の滝百選
 >>スペシャル
 >>四国遍路八十八箇所

2016/06/14
 10:15 小金井駅
 13:00 鬼怒川
 14:30 久下田駅
 16:10 高田専修寺
 18:25 北山駅


歩行距離:約30km