日本一巡~晴行雨読~ 利尻富士から歩いて薩摩富士へ
第11日
 益子屋敷
 2016年06月15日(水)
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(1)北山駅から益子へ
 高田専修寺を訪れた翌日、続きの行程を進めるために東京から出直す。昨日は真岡鉄道とJR水戸線に初乗りした。今日はつくばエクスプレスと関東鉄道常総線に初乗りして昨日の中断点の北山駅に向かう。この地域にまったく縁がなく目立つ観光地もないので足を踏み入れる経験も意思もなかった。しかしこの日本を一巡する徒歩旅行では新たな出会いがある。北千住で降り、つくばエクスプレスのホームに行く。東武線の北千住は何度も通過しているので、ある程度勝手がわかってきたが、つくばエクスプレスの駅は初めてだ。JR線ホームの直上に作られていることを理解した。途中の守谷駅まで快速電車に乗る。市街地である足立区を地下で駆け抜ける。いまでこそ、つくばエクスプレスが通り名となっているが、私が子どものころは常磐新線と言われていたものだ。八潮・三郷・流山など常磐線が直接通らない沿線を高架線で驀進する。ところどころ残丘でもあるのかトンネルで通過する。「流山セントラルパーク」とか「流山おおたかの森」など大げさな駅名もあるが、駅前の大型商業施設が駅から俯瞰でき、順調に発展しているように見える。しかし利根川が近づくとさすがに空地が目立ち、利根川を渡って守谷駅に着き、関東鉄道に乗り換える。
 駅はきれいにつくばエクスプレスと一体的に整備されており、ローカル私鉄の関東鉄道とは思えない。2面4線の立派な駅だが、やってきた下館行きの「快速」電車はなんと単行。1両編成なのだ。目分量だが、6両程度は停車できそうなホームだが、通勤時間をやや外れているせいなのか拍子抜けだった。でも車内の客数を踏まえるとやむを得ない。妥当な輸送力なのであろう。ところで車体の塗装はなつかしの銀河鉄道999(スリーナイン)である。下館の美術館で松本零士展が行われているためらしい。少しだけ気分が高揚する。しかし曇り空の下の1両のディーゼル車。「快速」電車であるので多くの駅を通過していくが、関東鉄道常総線沿線はあまりぱっとしない。途中の水海道では家が建て込んでいるところあるが、一見して寂れた地方の街の典型の風情であるし、小貝川の水害の印象も強く、暮らしやすそうな雰囲気はしない。石下、下妻はさらに印象が薄く、気分の抑揚なく下館に着く。昨夜と同じ駅だ。真岡鉄道の出発までの時間がある。昼食の手当ても必要なので下館駅前のロータリーを見るが飲み屋があるきりでなにもない。仕方なく前夜も入った駅のキオスクで調達する。
 缶ビールで気を取り直しこれまた単行のディーゼルカーで北山駅に向かう。関東鉄道より一段と少ない客を乗せて出発する。昨晩は夜の乗車だったのでこれが実質的な初乗りだ。とろとろと水田のなかを今度はひとつひとつの駅を丹念に停車しつつ進む。単線なので適度に上下線の行き違いがある。30分ほどして沿線の中心駅真岡に近づくと蒸気機関車が線路脇に停車しているのが見えた。何分か停車するようなので、ホームから撮影できそうだ。これはついている。蒸気機関車をカメラに収め、DE10というディーゼル機関車の塗装も最近塗り替えられたようで輝いている。行き違いとなるであろう上り電車が来る気配もないのでホームの先端で堪能していたが、ふいに発車ベルが鳴り、ここまで乗ってきたディーゼルカーが行ってしまった。上り列車と行き違うはずだというのは私の先入観で、主要駅なので停車時間を長くとっていたに過ぎなかったのだ。迂闊であった。荷物を座席に置いておかず、すべて持ってきていたことを幸いとしなければならなかった。真岡駅のホームのベンチでじっと待つことにする。幸い40分程度待つと次の下りが来るようだ。真岡駅が車輌基地にもなっている。乗り遅れの原因を作ってくれた蒸気機関車やディーゼル機関車が見える。昨日以来なじみなっているアメリカンテイストあふれたディーゼル車たちを見て過ごす。そして真岡駅の駅舎は一見して蒸気機関車を模したものとわかる大きな堂々としたもので待ち時間も案外と気にならなかった。
 予定より1列車遅く北山駅に着く。見覚えのあるホームをあとに歩き始める。周囲に店などないことは既にわかっているので、昼食は車内で済ませてある。次の旅の目的地は那珂川沿いを進み、奥の細道ゆかりの黒羽である。以前北海道から自転車で東北地方を縦断して帰京する際に通過し、その穏やかな田園風景を好ましく感じたので、再訪を願ったのである。しかし那珂川沿いを通る鉄道線はなく、宇都宮方面から伸びてくる烏山線があるきりだ。真岡鉄道終点の茂木から烏山と烏山から黒羽がそれぞれちょうど一日行程であるので、今日は茂木まで進み、他日を期して残り2日間で黒羽に至る計画を立てた。北山駅から茂木までの途中に焼き物で著名な益子がある。窯のある地区をとおると遠周りとなるが無理ではない。まずは益子を目指す。
 6月であるので、そこかしこに紫陽花が咲いている。青に近い紫や、ほぼピンクとも思える紫で出迎えてくれる。少し行くと造り酒屋があり観光バスも停まっている。益子の観光コースに組み入れられているのであろうか。今日は昨日と違って旅程に余裕があるので立ち寄る選択肢もないではなかったが、既に真岡で失敗していることもあり一瞥しただけで通過する。すでに上流になっていると思われるのに案外と水量のある小貝川を越えて益子の市街地に入っていく。駅舎は観光地らしく特徴的な意匠ではあるが肝心の客が少ない。閑散期の平日ではあるが、先ほどの酒蔵では観光バスもあったのに、列車は運行本数が少ないためか駅を行き交う人は疎らだ。益子焼の窯元はここからさらに山の奥まったところに構えているので住宅街を抜けていく。こんな山奥に、といってしまっては差し障りがあるが、東京の郊外といっても通用するような敷地が狭く建て詰まった住宅街を抜けていく。抜けた先には小河川がある。「百目鬼川」と書いてある。まったく読めない。どうやら「どうめきがわ」と読むらしい。市街地を抜けてしまうと水田が広がる。しかし昨日の関東平野の真ん中とは違い、山あいの水田で、形は不整形となる。今日も鷺がいる。地方に来ると、案外、動物と共生した生活があるのだと気づかされる。水田に潜む虫でもついばんでいるのか、なかなか飛び去らない。もどかしいような嬉しいような時間が過ぎ、シャッターを切ることにようやく飽きて水田の鷺と別れた。
 観光客ならば陶芸メッセという施設を訪れるのであろうが、なんとなく気が向かず、そのまま先に進む。立派な旧家が並ぶ一角に出た。必ずしも陶芸で財を成したというわけではないにであろうが、それぞれ贅沢なつくりのように思われ、裕福な感じがある。富は都会にだけあるのではないようだ。塀のなかの庭園が偲ばれ、立派な門構えが気位を象徴しているようだ。感心しながら県道に戻る。そこは「道祖土」交差点となる。これも直ちには読めない。「さやど」と読むのだそうだ。一見の者には敷居が高い。一方、アクセスのよい街道沿いには脱サラして陶芸を始めたような窯があり、却って軽薄な印象を受けながら歩いていく。

(2)那珂川水系に入り茂木駅まで
 益子の裕福さに感銘を受けたところで茂木に向けて舵を切る。Google Mapを信用して変哲のないわき道に入ると、すぐに上り坂となる。このままいくつか小さな山道を抜け上り下りしていくと、利根川水系からいつしか那珂川水系に切り替わり、茂木の街に下りていくことになるようだ。最初は急坂だったが徐々に勾配が緩やかになり降りていくと、県道1号線というのに出た。栃木県内でも地味な場所だと思うが1号線なのである。調べると宇都宮と水戸を結ぶ最短経路だということでかつては宇都宮水戸線と呼ばれており、笠間から先を国道50号線に割譲してからは、宇都宮笠間線という名称になったということだ。その県道1号線を少し通って、また細道に分け入る。こんな山奥になぜ住宅を求めるのかとも思うが、新築の住宅がいくつか並ぶ。必ずしも経済合理性だけで、人は選択していないということであろうか。大羽川という小河川を越えると、路傍のあざみの花にミツバチが止まっている。近くに人間がいることに構わず、自分の営みを行っている。人間とは無関係な世界があるのだと思う。ここからまた山越えになるのだが、いったいこんな場所に誰が客としてくるというのか、レストランの小さな看板だったり、益子焼のギャラリーがあったりする。主要県道から一本入っただけだとはいえ、周囲の緑の深さを考えると、なぜここに、とは思える。レストランの名前は「猫車」といい、宮沢賢治の山猫軒を思わせ、幻のようにさえ思えてくる。この山道を抜けると、茂木に向けて街道に出、芳賀富士と呼ばれる特徴的な山体を仰げるようになる。
 富士を仰ぐというと、高峰をイメージされるかもしれないが、周囲より少し高い円錐形のものがある、という程度である。しかしひと目でそれとわかるので、さすがに富士と名づけられるだけのことはある。この茂木に向かう街道にも瀟洒な新築住宅がある。また丹精した花壇もあり、また太陽光パネルを並べた太陽光発電所もあり案外と人の生活も感じられる。芳賀富士に近づくと逆にその姿は前衛の山に視界が遮られてみることができなくなる。なだらかな鞍部を越えると、そこからは那珂川水系である。特に峠とも認定されてないようであるが、尾瀬の三平峠以来の利根川水系に一旦別れを告げる。ここからはしばらく那珂川水系を旅することとなる。
 下り始めると、裕福な土地柄なのか、街道から離れたところにいくつか大きな屋敷が見えてくる。栃木県から茨城県は西日本の台風被害や北日本の大雪被害がなく、案外と自然環境に恵まれているのかもしれない。大消費地に近いという理由だけでない。農業生産が多い理由があるのだろうと思う。山林を越えていくと、こちら側でも水田が広がり、小河川を橋で越える。逆川に架かる木幡大橋だという。逆川という名称は、このあたりの川は通常南に向けて流下することが多いが、この逆川は北の那珂川に向けて北流するからだという。確かに鬼怒川も小貝川も那珂川も北から南に流れる。このあたりの人にとって、川とはそういうものだと考えても不思議ではないように思える。さて木幡大橋を越え、まっすぐ行っても、左に曲がっても茂木に至るようだ。この街道の本線は直進だが左折することにした。直進は山越えとなるが、左折する道が逆川に沿うものである。大きな屋敷や路傍の地蔵を見ながら、わずかな車輌がとおる街道を歩いていく。逆川も少しずつ成長している。国道に合流する前にこの道は逆川と分かれてしまうが、逆川に沿った小道をいく。その小道の先には国道に沿った道の駅が見えており、川沿いの散歩道のほうが風情があるだろうとの判断だ。川沿いに進み、道の駅構内にはいっていく。さらに先に益子駅で別れた真岡鉄道の線路も見えており、茂木駅もすぐ近い。
 たどった道を進んでいくのだが、ちょっと失敗した。逆川の左岸沿いを進んでいるのだが、国道は右岸を通り、茂木駅に直接行く道は真岡鉄道の向こう側を通っているようなのだ。駅へ出るにはかなり遠回りすることになった。しかし途中雰囲気のよい店などがあり、今日の旅程に余裕があることもあり、多少遠回りだったとしてもそれ以上特にどうということはない。茂木駅前の人通りの少ない商店街を抜けると、活気のある高校生たちが駅に集まっていた。茂木高校の下校時刻なのだろう。昨日以来、4回目の真岡鉄道だが、一番乗客が多かった。途中駅でどんどん降りていくが、案外と遠くまで通学する生徒もいるようで真岡まで乗る高校生もいた。宮脇さんの時代のような騒がしい高校生もいるのだが、友達が降りてしまうと、やおらスマホを操作するようになる。関東鉄道、つくばエクスプレス経由は運賃が高いので、下館からはJR水戸線経由、東武線を通って帰京した。


(注釈文未了)
c001 風薫る山里のみち
c002 鯉と山あいのみち
c003 JRバス関東宇都宮支店管内バス路線図


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2016/06/15
 13:00 北山駅
 13:40 益子駅
 15:45 小貝川那珂川分水界
 17:10 茂木駅


歩行距離:約17km