日本一巡~晴行雨読~ 利尻富士から歩いて薩摩富士へ
第12日
 茂木 馬門の滝・那珂川
 2016年06月23日(木)
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(1)茂木駅から那珂川へ
 この日本一巡の旅行がなければ乗ることのなかった真岡鉄道にまた乗る。しかししばらく乗らなくなるはずだ。今日で真岡鉄道の沿線から卒業することになるからだ。前回終点茂木から始点下館まで乗り通したが、今日はその逆を淡々と行く。前回失敗した真岡で降りることもない。12時半に茂木に降り立つ。今日は6月23日。ほぼ夏至である。日が長いのはよいのだが、いつもに増して遅い時間の出発時刻である。今日はお昼どきであるので、高校生たちに会わないはずだったが、午前中の授業だけで帰るのかひとりの高校生に挨拶される。なんとかく気分がよい。しかしそれ以外に人気のない茂木駅前からスタートする。今日はふたつの滝見を予定している。百名瀑に入っているのでもなく、今日の日程検討するまでは私も知らなかったが、無理なく立ち寄れるので旅程に組み入れた。逆川の馬門の滝と、同じく那珂川水系江川の龍門の滝である。前回、利根川水系から那珂川水系に変わり、関東平野真っ只中の地域とはだいぶ様相が異なるのであろう。那珂川はその上流が那須高原を流れるが、中流部は栃木県(下野国)と茨城県(常陸国)を分ける八溝山脈に沿い、ちょうどこの茂木あたりで八溝山脈を突き破って茨城県に入る。従って渓谷の妙は中流部にあるという少し変わった河川である。今日訪れる予定にしている二つの滝は、那珂川水系の中流部に位置づけられる。那珂川が茨城県に入ってからは、水戸市北方を西から東に流れ、ひたちなか市那珂湊で太平洋に注ぐことになる。
 さて茂木駅の駅前商店街は六斎市に起源が求められるようだが、平日の昼下がりでは静かな通りにならざるを得ないようだ。立派な町屋が点在するが、開発圧力との兼ね合いだろうから、昔風の建築物が残っていることを手放しに喜ぶわけにはいかないのだろう。しかし現状こうなっている以上、それを受け入れ新たな価値を見出すことも悪いことではないだろう。「汽車に手を振ろう」という素朴なポスターを発見する。

「SLが走りはじめて18年。私たちには何となく日常の風景となりましたが、客車の人々にとって今日は思い出に残る特別な一日。朝早くから電車を乗り継ぎやってくる親子たちを、子や孫のように迎えてあげたら素敵ですよね。
参加資格:温かい気もちと勇気。できれば誰かを誘い合わせて、もちろんおひとりさまでも全然OK。
※手を振るのは「恥ずかしい」と感じるあなたはふつうです。勇気をだしてまずは通学時間に子供に手を振る練習でもしましょう!」とある。我々訪問し、もてなされる側もその思いを大切にしたいと思わせる。

 商店街が尽きると城山公園に突き当たる。茂木城址、別名桔梗城である。中世の茂木氏は16代400年この桔梗山を本拠とした。佐竹氏の秋田転封に従って茂木氏はここを離れ桔梗城は廃城となった。江戸時代を通じて盆地に陣屋が置かれたということだ。逆川支流の坂井川に架かる正明寺橋を渡る。ここから急な登りとなる。まず田里山正明寺の石段を上がり、その裏に今度は、質素な住宅のような屋根上に十字架を掲げたキリスト教会がある。さらに九十九折すると、城山公園に至る。駐車場の脇に盛りの紫陽花が咲いており、ローカルニュースに使うのかテレビカメラでそれを収めている。最低限の手入れのみで手付かずな感じのする公園だ。駐車場からさらに上り本丸跡と思われる場所に出る。木立の向こうに茂木の町が広がっている。眼前の比較的大きな建物は県立茂木高校だろう。人も車もあまりない町並みだが、さりとて空地が目立つ訳でもなく盆地のなかの小宇宙というところか。
 下山は通ってきた車道でなく整備された散策コースを降りてみる。すると、青葉にトンボが止まっている。古代の化石で見るようなつくりの儚い感じのトンボである。色もこげ茶のモノトーンでオニヤンマなどでなく赤とんぼのようなスターでなく、茂木にふさわしいものように思われた。人間になれていないのか鷹揚と4枚の羽を広げてみたりする。悠然と葉に留まっている。時間の流れが緩慢になっていくようである。名残惜しい思いで、下山を再開する。しばらく行くとフズリナの化石が展示してある。ぱっと見では価値が分からないが、きれいに整備してある。麓まで降りてくると、白い欄干の百騎橋が目に入る。行きに通った正明寺橋の赤い欄干と対になるようだ。1986(昭和61)年に台風による集中豪雨があり、逆川が氾濫したそうだ。電柱にそれを示す印がある。1mぐらいであろうか。きっと那珂川の水位も上がり、逆川との合流部が狭隘であったことから支流の逆川がまさに逆流してしまったのであろう。逆川沿いに歩く裏道には、トタン屋根のくたびれた小屋も、真新しく建て替えたであろう住宅が混在している。印象が定まらない。県道に出るが、すぐにわき道に入る。県道は逆川の湾曲に沿っているが、それをショートカットできるようなのだ。このあたりの自在さも徒歩旅行ならではと言える。玉ねぎを吊るした普段着の農家の脇や、素朴な石橋を田舎道が通る。再び県道に合流し、さらに進む。時折重くて高音のレーシングカーの排気音がこだましてくる。逆川を越えた山の向こうに本田技研のツインリンク茂木があるのである。平日なのでレースではないはずだが、試験走行が繰り返されているのであろうか。今日も鷺や路傍の石碑に出会えたりするだが、それにしても田舎の風情とは不釣合いではある。
 茂木市街は曇っていたが夏の日が出てきてしばらくいくと馬門の滝に着く。この滝は岩を噛むという表現さながらの渓流のような滝である。落差があるわけではないが逆川本流がそのまま流れ込む。ちょうど山蔭になるので涼を感じる。鷺が岩峰に立ち深山幽谷のような風情を感じられなくもない。脇を国道123号線が通り、それなりに車輌が行き交ってはいるのだが。馬門の滝で一服したのち少し戻ってからわき道に入る。今日はこれから那珂川に沿って烏山を目指す。この逆川を下ると当然那珂川に合流し、そこから那珂川を遡るルートも考えられるが、いくら日の長い季節とはいえ正午を過ぎた出発時刻であったので、ショートカットすることにしたのである。ショートカットするならば茂木市街からもっと近い短絡路はあるのだが、馬門の滝をルートに組み込むことも考慮して今日のルート選定を行った。国道から名も無い町道クラスの道に迷い込むのも楽しい。上り勾配も適度で支障を感じない。日照があり台風や大雪がないため維持もしやすいせいかここでも太陽光発電プラントが稼動している。日照が重視され、敷地の形状に応じてパネルを置くことができ、急でなければ斜面も比較的活用できるようだ。オニヤンマや昼顔、さらには揚羽蝶が現れる。揚羽蝶は夏の光線をいっぱいに受けて華奢な体ながらも生命感にあふれている。東京の人間がいようがいるまいがまったく無関係に世界が動いている。本来世界とはそういうものであろう。
 自然のパラレルワールドを堪能していたのだが、通過するべき地図上の道路より大きなカーブに遭遇し、ふと我に還る。計画していた道筋をはずしてしまったようだ。いくつかあった分かれ道の判断を間違えたつもりはないが、気づかなかった分かれ道があったのであろう。GPSつき携帯電話を取り出して現在位置を確認する。間違えてからだいぶ来てしまっていた。始めの計画からに比べれば遠回りとなるがこのまま行って合流するのも、来た道を戻るのもあまり距離は変わらないようだ。戻る場合は山越えになることもあり、そのまま歩き続けることにする。しばらく歩き急坂を下り、国道123号線に合流する。馬門の滝で分かれたはずだが、期せずしてよりを戻す。と言ってもすぐにまたわき道に進路をとる。この道は那珂川に沿う道だが、右岸の河岸段丘上を進む道で川の姿が見られるわけではない。淡々と見所のない道を延々と行く。かなり進んでから集落に入り、そこには中学校(茂木町立中川中学校)がある。道に迷わなければ30分程度早く到着したはずだ。段丘上に開けた集落を抜ける。栃木県名の「狩猟禁止区域」の旨の看板がでているが「イノシシは捕獲できます」とも併記されている。事情は想像するより他ない。段丘を降りていくと、那珂川に架かる大藤橋に出る。センターラインはないが、清々しい感じの橋がそこにあった。那珂川も草生した川原を従え悠然と流れている。よい眺めである。橋を渡りきるとすぐに上りとなる。土地全体が隆起し、川の下刻作用が卓越しているのであろう。

(2)那珂川に沿って龍門の滝へ
 ここから那珂川に沿った道は左岸の県道27号線もあるが、右岸側も細道が延々とあるようだ。GoogleMapがそう示している。車輌とともに県道を行くより、あまり車輌の入らない道を往くほうが歩いて楽しいであろう。そこで一旦大藤橋で左岸に渡ったものの、すぐに次の大瀬橋で右岸に渡る道をとることにしている。大瀬橋手前は、那珂川が蛇行してできた段丘上が開けており、適度に人も住んでいて店もあるようだ。大瀬橋は高々と那珂川を跨ぐように設置されている。川原には和船らしきものが何艘か置かれており、交通状況を考えると最近まで実用に使われてきたのではないかとも思える。大瀬の集落は那珂川に沿ってあり、高々と川を跨いだ大瀬橋を渡り終えてから橋の下をくぐる道に入る。橋を支えるラーメン構造がよく見える。地上に降りるとすぐに観光簗場の施設があるが営業していない。今日だけが休業日のようだが、ちょっとよくわからない。スクールバスが子どもを降ろし、また引き返していく。ここからは想像どおり住民の車輌しか通らないであろう素朴な道となる。先ほど降り立った子どもが私の前を歩いていく。バスがあるといっても、毎日となるとなかなか大変だろうと思う。案外と瀟洒な住宅へと帰宅して行った。
 川面は見えず、段丘上の集落と畑地を結んで細道を上り下りする。森を抜け、藁葺き屋根の大きな住宅もある。朽ちている様子はないので現住しているかもしれないが、それにしても奥まった場所にある。やがて細道は段丘から那珂川を見下ろせる場所に出た。護岸壁などない悠々とした流れが眼下にある。このあたり千体淵というそうだ。那珂川はこのあたりで少し湾曲しているので水深の深い場所もあるのだろう。見えている那珂川は川原もあり、淵と言うより瀬のようである。実際川に立つ釣り人もいる。千体淵は川舟から見える岩壁が千体の仏像のように見えるからだという。那珂川水運の難所だったようで、溺死者供養のために岩壁に仏名が刻まれているという。私がいる壁の上の歩道からは確認しようがない。湿った感じのある林間を進み幾度もなく上り下りし、時折数軒の家並みを抜け、また手つかずの那珂川を上から見る。この道を通って正解だったと思う。那珂川の清涼さも、車輌の通ることのない林間の道も好ましい。ただ自動販売機など皆無であり、喉の渇きを覚える。我慢して歩き続けるしかない。
 支流内川との合流部が見えてから少し歩いた先の路傍にこれまでみたことのない石像があった。道は草生しているわけではないので、それなりに往来をあるのであろうが、それにしても知られることの少ない石像だろう。男女が幸せそうに抱擁しているように見える素朴な石像なのだ。さらに手の位置に紫陽花が咲いており、ちょうど花束を渡しているように見える。あまりにできすぎているので、誰かが置いたのであろうが、しばらく見とれていた。このような意図しない驚きに出会えるのは旅の醍醐味である。徒歩旅行ならではだといえる。満たされた思いで歩みを進み、国道に出る。自動販売機があり、渇きを癒した。
 既に18時を過ぎており先を急ぐ。国道に併設している歩道を歩いていると、家族連れとすれ違い口々に挨拶してくる。屈強そうな息子を従え、ちょっと怖い感じのするお父さんもいる。犬を連れているので日課なのであろう。あるべき家族のひとつの像だと思う。典型的ということでなく希少性ということで。
 烏山の市街に入り家並みは途切れずあるが、コンビニがない。さきほど渇きを癒したが今度は飢えを感じてきた。帰りの烏山線で食べながら帰りたいのだが、なかなかそのような店がない。周囲も薄暗くなってきた。今日は烏山にある龍門の滝見物までを考えていた。烏山線は1時間に1本程度あるが東京までの時間を考えるとなるべく19時33分発の列車に乗りたい。烏山駅のひとつ前にその名も滝という駅があり、その滝こそ龍門の滝なのだ。次回は滝駅から再開することにした。烏山の中心部へと向かう国道から別れ、滝への道をとった。行けども食料品を扱う店はなく、気は急いているがとぼとぼ歩くと、頭上で踏み切りの音がする。終点の烏山への下り列車で、私はその折り返しに乗ることになるのであろう。緩い上り坂を進み、左から山が迫ってくる感じがすると、滝への短縮路という手書きの看板があった。駅までの時間が読めないので、それを無視して歩き続ける。またすぐに川に下りる散策路も暗がりのなか見えてきたが、それも無視する。しかし駅までの見通せる場所でも橋があり、時間は7時を少し回ったところ。10分程度の見物時間はとれそうだ。店を閉めたお土産屋の奥に落差のある立派な滝があった。薄暗いので全貌はよくわからないが、川幅いっぱいに広がっているようである。詳細は次回に譲り、駅への道を急ぐ。烏山線滝駅は片側ホームだがベンチなどは更新されており、1時間に1本しかないローカル線と言えども投資されているようである。帰りの車内は下校する高校生や会社員でほどほどに埋まっていた。車窓が暗く、周囲の状況は分からなかった。宇都宮駅内にあるコンビニで買い物をし、東北線内で飢えを癒すこととなった。


(注釈文未了)
c001 茂木町
c002 六斎公園
c003 八雲神社由緒
c004 汽車に手を振ろう!
c005 正明寺橋
c006_1 茂木氏と茂木城
c006_2 茂木氏と茂木城
c007 城山公園(茂木城址)
c008 フズリナの化石
c009 1986年台風10号による洪水被害c010 馬門稲荷神社
c011 逆川河川改修事業
c012 大藤橋架設記念碑
c013 那珂川県立自然公園
c014 千体淵
c015 後田の棚田


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2016/06/23
 12:30 茂木駅
 14:00 馬門の滝
 15:00 大瀬橋
 19:00 龍門の滝


歩行距離:約25km