日本一巡~晴行雨読~ 利尻富士から歩いて薩摩富士へ
第1日
 尾瀬御池口・燧裏林道・三条の滝
 2015年07月26日(日)
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(1)尾瀬まで
 旅をするきっかけとして日本中を一巡りする企画を何年も温めてきた。古い町並み巡りなどのテーマも定め、いつしか徒歩で巡ることも思い立った。空想の産物だった企画が、いつの間にか徒歩の制約のなか何を持って行こうか、記録にはどう残そうかと実行に向けて準備をする気分になってきた。北海道から九州まで、何回も中断することはあっても「片道切符」の実施イメージだった。だからこその「日本一巡」というサブタイトルであり、「利尻富士から薩摩富士へ」と謳っていた。「晴行雨読」と呼んだとおり、ふんだんに時間のある定年後に実施するのが主たるイメージだから、「片道切符」のイメージを制約とは感じていなかった。
 ところがである。空想企画が現実の実行計画に発展するにつれ北海道を起点に九州まで、日本列島を紆余曲折する旅程は大きな制約であることがわかってきた。私の年齢はまだ50前。初老とはいえ定年にまだ少しモラトリアムな時間が残っている。まだ現役に属している身では長期間の大旅行を実行できる状況でないことに遅まきながら気づいた。不覚ともいえるが要は迂闊である。旅の起点は北海道利尻島である。最果ての地に向かうだけでも大散財である。ましてやずっと旅行できるわけでもない。あるとき北海道一巡するのにかかる期間を単純試算したことがあった。75日間だった。やはり空想企画だったかと断念も考えた。
 ただ年寄りの浅知恵で思い切りが悪かった。結論を先延ばししているうち東京に住んでいる私には関東地方なら北海道ほどには散財せず、幾度も日帰り旅行を繰り返せるだろう、と気が付いた。なにも始めないか、最初の方針を転換して途中から始めるか、自分の気持ちにだけ折り合いをつければよいのだから悩む必要はなかった。こうして予め東北から関東の入り口として計画していた尾瀬から旅を始めることにした。
 関東地方の順路は、福島県から栃木県に入り、茨城、千葉、神奈川、東京、埼玉を巡ったのちに群馬県から新潟県に抜けるというものである。国立公園としての尾瀬は群馬県片品村、福島県檜枝岐村を中心に新潟県と栃木県を領域に含んでいる。つまり尾瀬を福島県から群馬県に移動することは易しいが、尾瀬を経て福島県から栃木県に抜けるのは旅程作成上少し工夫がいる。なるべく群馬県の通過距離を減らすことを意識していたら、一般車通行止めながら奥鬼怒林道というのが開通しているらしい。ネットで栃木=群馬県境のトンネルまで自転車で登ったがトンネルまでで引き返したという記事も発見した。国土地理院の2万5000分の1地図にも奥鬼怒トンネルとその前後の道路が描かれている。どうやらこのルートは使えそうである。尾瀬から秘湯と言われる奥鬼怒温泉郷を経て奥日光までつなげることにした。温泉にも立ち寄るルートであるし、そもそも尾瀬から奥日光までを歩きとおすことを東京からの日帰りはさすがに無理である。梅雨明けの安定した好天を期待して7月下旬の2泊3日のプランで尾瀬の山小屋と奥鬼怒の一軒宿を予約した。勤務先にも休暇届を提出した。
 尾瀬からの経路は決まった。さて尾瀬にはどう行こうか。王道の群馬県片品村から鳩待峠または三平峠から入るルート、上越新幹線を組み合わせて新潟県から奥只見湖から入るルートも気にはなったが、日本一巡の経路通り福島県檜枝岐村から入ることにした。本来は東北地方福島県の目的地として計画している日本の滝百選・三条の滝も、フライングで見てみたいことが決め手だった。早朝の東武日光線快速が野岩鉄道に乗り入れる会津田島行きを併結している。それに乗ると国鉄時代には会津滝ノ原駅と名乗っていた会津高原尾瀬口駅まで直通で行くことができ、そこからのバス便もよい。

(2)旅行当日
 自宅を早朝5時過ぎ起床。睡眼の妻に少しの別れを告げ、支度してあったリュックサックとウエストポーチをまとい、既に明るさに満ちている早朝の街を最寄駅まで歩き始めた。北千住で乗り換えた快速会津田島・東武日光行きは、早朝便にも関わらず休日らしく沿線のゴルフ場に向かう客やハイキング客など座席が7割方埋まるくらいの込み具合であった。前4両が下今市から鬼怒川線に乗り入れる。さらに新藤原で2両が切り離され、会津高原尾瀬口着9時25分。天気は快晴。
 ここで会津田島始発の沼山峠行きバスに乗り換える。山の格好をした客で一杯になり補助いすに座るお父さんもいる。ここから約2時間。スノーシェードが頻繁に表れる山里を、あまり乗降客もなく淡々とつないでいる。御池着11時30分。私ひとりが降りる。多くの客は終点沼山峠まで行く模様。沼山峠から尾瀬沼に入ることができる。私はその尾瀬沼から燧ケ岳を挟んで裏側の燧裏林道を通って、三条の滝から尾瀬ヶ原に抜ける予定である。レストハウスでカレーライスを食べ、11時57分人影に乏しい御池駐車場から歩き始めた。
 しばらくはがっちりとした木道を行く。あとから車いすでも尾瀬が楽しめるようこの区間だけの特別な木道だと知った。木立ちのなか幾組のペアとお約束のあいさつをする。慣れた感じもするが清々しい。しばらくして木立ちを抜けると尾瀬らしい湿原に出る。木道の下は確かに湿地である。木道の先のベンチで家族が弁当を広げている。妻と子どもたちを置いてきたことを少し後悔する。それにしても、あたりは静かだ。風の音とトンボの羽音。取り出したカメラのフォーカスを合わせるモーター音がうるさく感じる。気分が高揚してくる。林間で中学生ほどの列とすれ違う。あと御池までどれくらいかかるかと尋ねられ、あと30分ぐらいだろうと答えた。わたしの山体験の基準は東京八王子の高尾山である。林間に入ると険しい箇所もあるが、朽ちている箇所もそこかしこにあるものの複線の木道がどこまでも続く。やはり趣が違う。うれしくなってきた。学生時代にワンゲルのようなサークルに所属したことがある。その先輩に教わった苔むした丹沢や、雨に降られ風邪を引いた大菩薩嶺を取り留めもなく回想する。
 13時45分、御池から5.5km、尾瀬ヶ原(見晴)まで3.9km、三条の滝まで1.2kmの分かれ道に到着。もう少し早い時間に着きたかったがやむを得ない。三条の滝への道は尾瀬回遊の主要路でないことや、そもそも只見川が下刻した急崖で、礫が露出しハードな行路となる。行きはよいよい帰りは怖い的な変わりようである。それでもだんだん滝の音が聞こえてくる。20年ほど前、南米のイグアスの滝に行ったことがある。自転車で向かったのだが、その圧倒的な水量により、はるか遠くからもその舞い上がる水蒸気が明瞭にわかる。周囲は熱帯林で、山火事の煙のごとく朦々とした水蒸気が湧きあがっているのである。話を尾瀬に戻す。足元を気にしながら一歩一歩下る。最後は鎖に摑まって下り、漸く三条の滝を拝むことができる。只見川の本流が数十m落下する豪快な滝である。冬の厳しさのためかやや荒れた観瀑台を独り占めする。14時30分、自宅からリュックサックに入れて背負ってきたスポーツ飲料で乾杯する。
 山小屋には4時ごろ到着予定と伝えてある。本当は初めての尾瀬ヶ原をもっと散策して小屋に入り、翌朝は一直線に奥鬼怒を目指したいと考えていた。しかしというべきか、やはりというべきか時間が経ってきた。少し急ぐ。急ぎたいが急崖である。礫も浮いて歩きにくいし、ところどころ水たまりもある。どうにか尾瀬ヶ原への本道に合流したときは三条の滝からおよそ1時間経っていた。そこからは陽光注ぐ天上界に戻り、東電小屋到着16時34分。二段ベッドが3台ある部屋に通されたが、その部屋の客は私だけだった。小屋は閑散というわけではなく団体が多かった。食堂の卓はほぼ一杯だった。消灯前、小屋の外に出てみた。支配人が夕食後1時間ほどレクチャーしてくれ、蛍がぼちぼち見えるようになったと説明してくれた。実は蛍をこれまでの人生で見たことがない。最初に外出したときは見つけられなかった。8時半ごろもう一度出てみた。いた。小さく明滅している。ひらひらと動く灯りは、色は違うが線香花火を思わせた。優しい光だった。しばらく堪能して宿に戻った。初めての尾瀬、初めての蛍。今日は、明日からの本番に備えた準備日だと考えていたのに十分に楽しい。夜空は雲か霞か視界が悪かったが翌日の好天を期待して武骨な二段ベッドの下の段で眠りについた。


c001 尾瀬国立公園(御池駐車場)

 

c002 第1日目の行程(裏燧林道から三条の滝を経て東電小屋まで)


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2015/07/26
 11:57 御池駐車場
 12:12 姫田代
 12:23 上田代
 13:15 燧裏橋
 14:26 三条の滝
 15:30 平滑の滝
 16:34 東電小屋


歩行距離:10km(推定)