日本一巡~晴行雨読~ 利尻富士から歩いて薩摩富士へ
第2日
 尾瀬ヶ原・奥鬼怒トンネル・八丁の湯
 2015年07月27日(月)
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(1)尾瀬から奥鬼怒トンネルまで(新潟県・福島県・群馬県)
 山小屋の朝は早い。4時過ぎから朝食を待たずに出発していく人たちも少なからずいる。彼、彼女らを見送ると直ぐに朝もやのなかに沈んでゆく。6時の定刻前に食堂が開いた。直ぐに食事を済ませ、ご飯に対しておかずの数が多かったので、持ち運びができる味付海苔を持ち帰る。6時9分出発。今日は長躯、奥鬼怒温泉を目指す。見送る者もなく私も朝もやに溶けていく。木道脇に鐘がおいてある。昨日のレクチャーでクマよけと話されていたものだ。木道が少し高くなる場所がある。これも小動物の通路と解説されていた。しばらく歩くと朝もやが霧散してきた。青い空が増してきた。これも昨日のレクによる知識だが、尾瀬には白い虹が見えるときがあるという。通常の雨粒は光を赤から紫まで分光するのに十分な大きさがあるが、霧の滴では光を十分に分光できず、白い光のままだという。上がりたての太陽を背にして、わたしにもそれらしく白い虹がみえたような気がしてシャッターを切った。本当に白い虹なのかはすこし自信がない。
 ほぼ無人の湿原を進む。代名詞ともいえる水芭蕉は季節が異なり、また鹿害などでニッコウキスゲもまばらなようであったが、昨日以来十分に堪能している。旅先にいる実感がある。竜宮を左に尾瀬沼のほうに曲がり尾瀬沼から奥鬼怒を目指す。時間が経ったせいか、主要な経路になったせいかお約束の挨拶をする回数が増える。かつての木道は単線で、一列になって歩いたが相手に譲らせるよう先頭に女子を立てるテクニックがあったそうである。いまは堂々たる複線木道が行く手に続いている。見晴から燧ケ岳の裾をめぐる林間コースとなる。脚の調子もよく、家族連れや老夫婦、女子たびの方々を追い抜いても、特に負担はない。燧ケ岳への登山路の分岐に着くが、そちらはほぼ廃道のようであった。何年か前の台風の影響で閉鎖されたためである。さらにしばらく進むと尾瀬沼に達する。かつては尾瀬沼にも中禅寺湖のように遊覧船が通っていたが、仮に事故があった場合の重油流出リスクを考慮して廃止になったということであった。いろいろな配慮を得て、この尾瀬があるようである。
 まだ9時前だというのに山小屋に作ってもらった弁当を半分食べる。今日の宿は秘湯と言われる奥鬼怒であり途中人家はない。実は電子レンジで温めるパックご飯を東京から持ってきている。人跡まばらな土地の食事のためである。包装には電子レンジ専用との記載があり生食することが少しためらわれる。しかし要は冷や飯なだけなのだろう、ということで持ってきた。朝食の味付海苔を持ってきたのはそのためでもある。ビジターセンターまで来、それなりに人がいるが適度である。今日が平日だからなのかはわからない。尾瀬沼越しに燧ケ岳を臨む。北海道の蝦夷駒ヶ岳と大沼など、山と湖の組み合わせはあまりに正統派の風景であるが、目に焼き付けておきたい。日本を一巡するこの旅で、このような景色を何回も見ることができるだろう。
 ほどなくして三平峠に向かう山道に入る。ここの山道でもまだ複線の木道がある。木立を抜けていくといよいよ尾瀬ともお別れとなる。三平峠、標高1,762m。3-4人ほどの登山者が腰を下ろしている。私も小休止後すぐに下る。今日これから奥鬼怒まで長躯するため、先を急ぎたいのだ。単に距離が長いだけではない。一般車輌通行止めの奥鬼怒林道を徒歩とはいえ果たして通行できるのか、確かめないまま来ている。仮に通行できない場合、大きく迂回する必要がある。本来、尾瀬の次の目的地は華厳の滝なのだが、今晩の宿として予約している一軒宿の秘湯も、もう既にそれに劣らない魅力になっている。大きく迂回しても今日中にたどり着ければよいのだが、たどり着けずにキャンセルとなる惧れもある。早く見極めたいので早朝から急ぎ足となっている。
 すぐに尾瀬とは反対側の眺望が開ける箇所があった。はるかな山並みが遠くまで続く。谷も深い。これからの長途を思い無理な旅程を少し後悔する。気を取り直し下りの山道も自己最速に近い感覚で降りていく。小学校低学年くらいの男の子とお母さんと思われる組に声をかけられる。あとどれくらいで三平峠ですか、と。下り始めて5-6分くらいかと思われたので、あと10分と簡潔に応えた。それを聞きお母さんに勇気が出たのか、もうちょっとだね、と子どもに声をかけている。ずっと下っていくと、そのお母さんの気持ちがよくわかるようになる。親子は延々ときつい登り道をたどってきたとわかったからだ。そして途中、さらに幼い子をふたりも連れた家族連れともすれ違う。こちらとは通常の挨拶をしただけだ。健全な精神は健全な肉体に宿るという。その思いから子どもを連れて登らせることにしたのかもしれない。しかし俺にはできない。家族のこれからの苦闘を想像した。一方、子どもの感情は5歳までに完成するという。私の経験からその説に賛成する。人生経験は乏しいくせに、微妙なニュアンスのやりとりが学齢前にできるようになるのだ。子どもは感情、肉体、精神の順に獲得していくのかもしれないと、ふと思いが立つ。大げさに言えば、晴行雨読の旅で初めて受けた啓示である。豊かな感情を失わせず、その上でさらに豊かな精神をわが子たちに得させることができるだろうか。肉体を豊かにすれば自動的に精神も豊かになるのであろうか。そうではないだろう。こちらも気が滅入るくらい長い道のりの半ばである。
 しばらく下ると沢沿いの山道となり泥濘の箇所も目立ってくる。湧水がこの登山道を河道としている。気も急くなか一ノ瀬まで下ってきた。11時08分。徒歩の旅なので使わないが、ここからはバス便もある。車道と並行して旧沼田街道跡がハイキングコースとして案内されている(*1)。気持ちとしてはもちろん旧道を歩みたいが車道のほうが舗装こそされていないが歩き易い。下りが続いたため、つま先に痛みが出てきたので、無人の車道を進み途中合流したあとで旧道に入る。このあといよいよ奥鬼怒林道に入るが車道を大清水までくだるより、旧沼田街道から入る方が距離が短いからだ。旧沼田街道は苔が卓越する緑の世界で、すべり易い道だった。橋がなく小川を渡渉する箇所もある。やがて未舗装の車道に合流する。これが奥鬼怒林道である。ちょうど12時。ここで給水し残りの弁当を食べきった。
 奥鬼怒林道は足元に笹が群生する針葉樹林中に轍が続いていく。道の北側には化繊の網でできた柵が続いている。しばらく進むと通行止めするように柵に道を塞がれた。鹿の捕獲のための網であることが張り紙されている。鹿が高山植物を餌として食べることで荒らされている、と昨日の山小屋の支配人の解説でも触れられていた。柵は脇から抜けられるようになっており、徒歩の通行に支障はなかった。さらに若干の上り道を進んでいくと、若い男三人が向こうから歩いてくる。栃木県側に抜けられる吉祥かとうれしくなったが、三人とも釣竿を持っている。どうやらこの辺りは釣り場のようである。しかし大清水までずっと歩いていくのだろうと思うと、自分のことはさしおいて、ご苦労なことだと思う。よほど魅力的な釣り場なのだろう。未舗装ながら整備された道は、一定の幅で先に進む。川沿いだが樹林の隙間から垣間見える水面は眼下遥かであったり、せせらぎが聞こえるほど近くなったりする。途中の沢に滝がかかっている。先に抜けられることを信じて無心に歩き続ける。川を右岸から左岸に渡り勾配が急になってきた。胸突八丁という趣き。手元に持つ25,000分の1地形図のとおりに屈曲してきた。沢を高巻くように高度をかせいでいく。いつしか空は高曇りに変わり、自分の息遣いだけが聞こえる。地図によればそろそろトンネルの坑口が見えるだろうと期待していくと、案外立派な奥鬼怒トンネルに到達した。14時24分。坑口近くに銘板がある。『奥鬼怒トンネル 1990年10月 森林開発公団 延長1309M 巾3.5M 高4.5M 施工佐田・鉄建建設共同企業体』。温度に差があるのかトンネルから白い水蒸気が漂っていた。
 坑口から遥かに先を見る。トンネル内に照明は一灯もなく、漆黒の闇のトンネルの先に一点明かりがある。栃木県側の坑口に間違いない。1.3km先の明かりである。ほっとした。少なくともトンネルは開通している。ここまでの群馬県側の道の感じでいえば、栃木県側も通行に支障はあるまいと思われた。2時間ぐらい下れば温泉に着けるだろう見通しがついた。ここでパックご飯を開ける。味付海苔で食べる。何の問題もない。トンネルを振り返ってみれば、道路トンネルというより、単線の鉄道トンネルのようにも思われた。記憶が定かでないのだが、滋賀県にある北陸本線の旧柳ヶ瀬トンネルを通過したことがあるはずなのだ。北陸本線が余呉湖近くに付け替えとなり、道路トンネルとして供用されているトンネルである。旧柳ヶ瀬トンネルはかなりの産業遺産のはずだが、奥鬼怒トンネルの坑口の大きさや形がそれを連想させた。
 息を整えてのち、吸い込まれるような坑口から入る。背後から明かりが射しているとはいえ、暗闇は怖い。しかし完全な暗闇でないことは心強かった。遥か先ではあっても、どんなに小さな点であっても、出口が見える安心感があった。背後から射し込む外光はすぐに失せ懐中電灯だけの明かりを進む。水たまりではないものの湿った路盤を踏みしめる足音が壁面にこだまする。恐怖心をを抑えるように、何も考えず無心で進む。立ち止まってみる。振り返ると、さっきまでいた坑口の明かりのほうが遥かに大きい。まだまだ先は長い。一層機械的に先に進む。群馬・栃木県境のプレートが照らし出された。反射材が使われている至って普通のプレートである。前回光らせてもらったのはいつ以来か。彼は黙して語らない。彼の生涯でこれまで何度もなかったであろう記念撮影をする。こうして栃木県に入った。

(2)奥鬼怒トンネルから八丁の湯(栃木県)
 暗闇のなかに県境プレートを残し先に進む。ワクワクする感じまで生まれてきた。改めて振り返ってみる。群馬県がもう一点にしか見えない。代わりに栃木県が大きく、明るくなってきた。トンネルの壁面も少し白さを含んだ深いモスグリーンに変わってきた。14時59分、栃木県口到着。傍らに少し錆びたブルドーザー1台がある。除雪用と思うが詳しいことはわからない。群馬県側とと同じく平らな路面だが礫の多い未舗装の道が続いている。違うのは下り勾配であることだ。2万5000分の1地形図によれば、谷筋に従いかなり屈曲しているそれを約2時間ほどで下ろうとしている。
 かなり下ってからのことである。淡い青系の筋のある蝶が一群となっている場所に出た。ひらりひらりと舞い、私の存在を知らないように悠々と蜜を吸っている。しばらく見とれていた。全く人に出会う心配がないので、お互い邪魔されることもない。先を急ぐでもなく私の気持ちが満ちたところで離れた。さらにしばらく下る。遠くの路面になにかあるようだ。ニホンザルだった。私の視線を感じたのか、山に駆け込む。奥まで走り去ることはなかった。距離をとったと猿なりに判断したのだろう。振り返り対峙する。どうやら子猿もいる。こちらはおもむろにカメラを取り出すが、安全と判断しているのか、特に逃げ出す様子はない。栃木県に入り生き物との交流が急に多くなった。群馬県側は路傍に滝があったり地物に見るべきものがあったが、こちらは生物に驚かされる。奥鬼怒林道は一般車通行止めということで動物たちの生活圏がほぼ維持されているのかもしれない。
 朝6時からほぼ休みなく歩き通してきた。下りとはいえ億劫になってきた。意識して気持ちを出して前に進まねばならない。山裾を幾度も巡る。標識はないので残りの距離の目安がわからない。地形図を片手に自らを励ます。単調に思えるのは人工物が少なかったからかもしれない。だから現れた無人雨量計(手白山雨量局)のアンテナでさえ新鮮だった。山奥でも山奥だからこその人工物であろう。無心で進むと「八丁湯沢砂防ダム」の脇に出た。この沢を下ると、今日の目的地の八丁の湯に至るが直接は行けない。しかしもうすぐそこと言えるぐらい近づいた。数100mほどのトンネルを抜け、鬼怒川上流を高々と越える橋を渡る。奥鬼怒温泉郷の一軒「加仁湯」の前をとぼとぼと通り過ぎ、さっき渡った橋の下を通り、まだ生まれて間もない鬼怒川に沿って進む。17時02分、八丁の湯到着。迎えてくれた主人によれば、尾瀬沼から来るならまだしも、尾瀬ヶ原から10時間で着くのは相当早いそうだ。でもおそらくトンネル経由でなく、尾根沿いの登山道を進んだ場合だと思うので、一直線のトンネルと通ってきた私が健脚かどうかは少し割り引く必要があるだろう。
 八丁の湯の玄関先には立派な楓の木があり、紅葉時は風情ある玄関と相まって一幅の絵になるだろうと思われた。荷物を降ろし、まずは露天風呂に向かう。さきほど見た八丁湯沢が滝を懸け、ささやかな渓流が眼下を流れる。やれやれと脚を伸ばす。下り坂を踏みしめてきたのか両足の爪が赤い。内出血しているようだ。特に左の親指と右の小指がひどい。どす黒さがあるが真っ赤である。痛みは全く感じないが、いくつかの峠(燧ケ岳、三平峠、奥鬼怒トンネル)を越え通常の力以上に肉体は頑張ってくれたようだ。露天風呂を堪能したのち食堂へ行く。既に席はほとんど埋まっている。男ばかり5人連れのグループに目が行く。『唯脳論』や『バカの壁』などの著書で知られる解剖学者の養老孟司先生が助手4人と逗留している風情なのである。思い当たることがある。この八丁の湯の玄関と鬼怒川の間に3m四方程度の白い幕が吊るされている。夏休みに入っているのでなにかのイベントのような気がしつつ、その脇を通って玄関に入ってきた。なにかがある気がしていた。もちろん私は生の養老先生に会ったことはない。画像・映像で知るのみである。私の記憶のなかの映像に比べると少しふっくらとしている感じはあったが否定する気にはならなかった。周囲の従業員や他の客も特に意識しているようではない。私もあえて尋ねて確かめる気はなく鶏の一人鍋をつついた。
 部屋に戻る。途中の階段は少し難儀した。一段一段一歩づつしか上がれない。さすがに我が肉体も遅まきながら悲鳴を上げ始めたようだ。宿に洗濯機を借り、たっぷりと汗が染み込んだ上下一式を洗濯する。その合間に今日撮った写真を整理してFaceBookに投稿した。早速何人かから反応があるのは人恋しさもあり、嬉しいものである。屋外から発電機の音がしている。例の白い幕に光を当て、そこに蛾やら虫やらを引き寄せている。通常の一般客ではやはりないのだろう。特に他の客からも苦情はでていないようだ。「養老先生」ご一行であることをさらに確信した。洗濯を終え、また露天風呂に行く。ビールは夕食とともに飲んだのでペットボトルのお茶にしておく。風呂をひとり占めである。ところが9時も過ぎた頃だと思うが、八丁湯沢の対岸の急斜面で子どもがふたり遊んでいるようである。夜も遅いし、それに急斜面なので危ない。どういうことかと目を凝らす。ふたりの子どもではなかった。かもしかの上半身と下半身なのであった。お腹のあたりの色が薄い反面四肢の色が濃いので、ふたりの子どもに見間違えたのだった。かもしかが夜陰に乗じて人里近くまで餌となる草を食みにきたのである。それだけ八丁の湯が山奥の一軒宿ということだろう。こちらがなにもしないので、悠々と草を食んでいる。もっとしっかり見てみたい。浴衣を身に着け痛む脚で客室からメガネを持って風呂に戻ると、ほぼ同じ位置で草を食んでいる。今日の夕方から、蝶、猿、かもしかと、栃木県に入ってびっくりすることが多い。この調子なら写真も撮れるかもしれない。再び客室まで往復してカメラを持ってきた。少し位置は下の斜面に移動したようだがまだいる。フラッシュを光らせずに撮影した。かもしかと分かるようには撮れた。幸いである。かもしかの晩餐を堪能した。かもしかは下流の方へ、露天風呂を照らす明かりが届かないところに行ってしまった。風呂の中で四肢を伸ばし長かった一日を噛みしめた。



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2015/07/27
 06:09 東電小屋
 06:56 竜宮
 07:20 尾瀬ヶ原(見晴)
 08:35 沼尻
 09:30 尾瀬ビジターセンター
 10:04 三平峠
 11:08 一の瀬
 12:00 (分岐)
 13:34 (奥鬼怒林道)
 14:24 奥鬼怒トンネル・群馬県口着
 14:40 奥鬼怒トンネル・群馬県口発
 14:50 奥鬼怒トンネル・群馬/栃木県境
 14:59 奥鬼怒トンネル・栃木県口
 17:02 八丁の湯


歩行距離:30km(推定)