日本一巡~晴行雨読~ 利尻富士から歩いて薩摩富士へ
第3日
 鬼怒川上流・山王林道・光徳牧場
 2015年07月28日(火)
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 朝起きると雨が降っていた。降雨で歩けない場合はここから宿のバスに乗り、女夫淵(めおとぶち)から通常のバス便に乗り換え電車で帰宅し、次回は八丁の湯から再開となる。朝7時から食堂にて朝食を摂る。しばらくすると「養老先生」だけがお出ましになる。助手たちはそのあと三々五々に集まってきた。少し雨が小降りになってきたようだ。風情ある玄関の写真などを撮っていると雨が止んできた。女夫淵ぐらいまでは歩いて行けるかもしれない。急ぎ支度する。7時40分八丁の湯を出立。ここからは鬼怒川を川沿いに下る。宿のバスは奥鬼怒林道の続きで山沿いを迂回して女夫淵に行くが、八丁の湯開湯の当時からあると思われる沢沿いの道を進む。私の晴れ男ぶりがまた証明された。雨に降られたくない日はたいてい天気がもつ。巡り合わせの良さに感謝する。雨上がりなので、水たまりの多い道を下る。慌てて出てきたので、昨日履いて干していた靴下を忘れたことに気づく。宿に戻る選択肢もないわけではなかったが、いつまた降り出すかもしれないので、まだあまり履いていない新しい靴下だったが置き去りにすることにした。
 鬼怒川はごつごつした大岩の陰に清冽な水がわずかに見える。晴れてはいないが絵葉書のような典型的な上流の渓谷である。周囲の地質のせいか、冬の寒さのせいで岩を脆くなっているのか斜面崩壊している箇所が目立つ。大岩が多いのはそのせいであろう。法面強化が必要なためかしばしば迂回路が用意されている。女夫淵ももうすぐ近くなったころ鬼怒川を渡る。「鬼怒の中将乙姫橋」(きぬのちゅうじょうおとひめばし)を渡る。由緒ありげな雅な名前とはうらはらな実質的な橋を渡る。そこからなぜか急斜面を上り下りさせられる。この急坂で一組の中年夫婦にすれ違う。軽装である。どこまで行くつもりなのかわからないが、それなりの覚悟がいる道だろうとは思う。
 奥鬼怒林道に合流し、8時56分女夫淵に着く。約1時間歩いてきたことになる。女夫淵でバスの時刻表を見る。鬼怒川温泉駅行きである。日光市営バスということだがおそらく東武系列の会社に委託して運行しているのであろう。7時45分の始発はとうに出ている。次は9時50分。12時45分、15時25分。最後の17時30分は途中の青柳行きとなっている。上空は曇りではあるが幸い降り出す様子はない。歩き続けることにする。歩かないと次の旅行はこの一日4往復のバス便に左右される旅行となるのであろう。女夫淵では携帯電話の電波が入る。尾瀬の山小屋も、奥鬼怒八丁の湯もだめだったが、ここには入る。歩きながら家に電話する。連絡がないと妻が怒っていた。周りが思うほど本人は成功を不安視していない。だがギャップに私のほうが気を利かせなければならないのだろう。この旅行で初めて舗装された道を歩く。尾瀬の入り口御池駐車場構内以来の舗装である。路面が平らになり安心する。緩やかな下り道を歩く。
 9時37分、川俣温泉着。判断のしどころである。鬼怒川温泉まで行くバス通りとここで分かれ、順路は奥日光へと向かうからである。晴れる様子はないが、降り出すかどうかは判断できない。道路標識では光徳21kmとでている。光徳とは奥日光の光徳牧場のことである。昨日の奥鬼怒林道と違い、ここからの山王林道は全線舗装で当然に一般車通行可能である。山王林道を通るバス便はないが、降られたらそれまでと山王峠への舗装林道を進むことにする。かつては栗山村だったこの地も平成大合併を経て日光市域になっている。一歩一歩羊腸たる登り坂を進んでいく。歩き疲れ空腹感も出てきたので、二つ目のパックごはんを開ける。すると晴れ男の霊験が弱まったのか雨が降り出してきた。急ぎご飯を食べ終え、雨具を身に着け、道に張り出している木の蔭の下を進んだ。雨が降り続き、深い木陰で雨宿りする。登り一方の道に少し疲れていたこともあったろう。雨音だけが俺の周りにある。宇宙のなかの男一匹である。とりとめのない時間が過ぎる。やがて雨脚が弱まったように感じ歩みを取り戻す。山王林道を覆うように生える林の蔭を進む。覆い過ぎてもはや林道を覆うアーチになってしまった木さえある。背の高いトラックなどは通らない道なのかもしれない。昨日の奥鬼怒林道とは違い、数分から十数分に一度ぐらい車が通る。栃木県のナンバーも多いのだが、東京を含む他県ナンバーも多い。とりとめなく上り下りするうち、また雨脚が強まり二度目の雨宿り。10時57分。川俣から4kmほど来たところである。光徳までの21kmの川俣温泉の標識を信じるとあと17km、4時間ほど必要となる。現在ほぼ11時だとして光徳到着推定15時。今日中に華厳の滝まで行ければ最上だが、こう休憩が多くては無理だろう。むしろ本降りになり進退窮するだって大いにあり得る。
 雨はしとしとと続いているが、ふと歩き出す気分が高まる。路傍に置いていたリュックサックとウエストバックを身に着ける。いや、装着完了のほうが気分にあう。やおら歩き出す。西沢金山寺跡供養塔の文字が書かれた卒塔婆が道端に差してある。さらにしばらく行くと無記名だが、西沢金山について(*1)とタイトルされた汚れた立て看板があった。周囲はここまでとさほど変わらない人手の入っていない山林のようだが、この立て看板に拠れば昭和初期まではゴールドラッシュだったということだ。そこから数十年。1世紀に近い時が経過すると人跡は消滅するということなのかもしれない。西沢金山から山王林道は高度を上げていく。幾段ものつづらおりとなる。次に通るであろうガードレールを斜めに見上げながら励みとし、一歩づつただひたすらに歩き続ける。異臭がする。姿は見えないが斜面のどこかで野生動物が死に絶え、まだその腐臭が漂っているのだろう。見下ろすとかなりの急斜面であり、脚を挫いてしまい動けなくなったか、寿命が尽きたためか、はたまた縄張り争いで後れをとったか、知りうる由もない。明るい急カーブまで来た。地形図と照合しながら歩き目安としていたカーブだ。光徳まであと9kmという標識がでている。山王林道の行程もはぼ半ばを過ぎたことになる。ちょっとした広場になっており、ここで小休止する。13時15分。
 その広場には標高1,620mと記された石碑が立っている。尾瀬がだいたい1,700mぐらいだったはずだから、午前中登り続けでほぼ取り返した感じである。石碑は日光の治山に係る記念碑のようで、この広場はその記念公園。石碑の近くには栃木県が作成した膨大な数の砂防ダムの地図(*2)が掲示してある。高い位置にあるので、周囲の無数の山々の眺望はよいが、夏山のためかダムは木立ちのなかに埋もれてしまい、治山の困難さは想像する以外にない。この治山記念広場で給水とバックご飯による2度目の昼食を摂る。これで食料がなくなった。あと2時間かけて人里に下りていかねばならない。やんちゃな単車乗りが刻んだであろう無数の円形のタイヤ痕に見送られて広場をあとにする。まだ山王峠は先にある。急激に高度を稼ぐ道ではなくなったが、再び山襞に沿うように緩やかに上る。緑の夏山には、補色となる赤系の色はとても目立つ。捕食者に実を食べてもらいたいのか。また7月だというのにもう紅葉しているものさえある。寄生木なのかもしれないが、遠めからでもとても目立つ。そうこうするうち、またつづらおりになる。これは先ほどほど大規模でない。しかし奥鬼怒と奥日光を隔てる峠を越えた。地図上に特に名前はない。しかし平成の大合併で消えたはずの、栗山村と日光市の境の標識が撤去されずにある。ようやく奥日光に入ってきた。14時34分。
 奥日光の領域にはいると道はほぼ平坦。わずかに下っているかなという感じになる。山王峠まで300mという標識があった。舗装の車道を離れ、踏みしめられた登山道があるようだ。これも一興と車道と分かれる。山王峠は想像していなくもなかったが眺望が効かず、下り斜面がここから始まるという場所だった。山王峠の標識に拠れば光徳まであと2km。もうすぐというところまできた。ここから車道に戻る気はなくなり、このまま進む。しかしすぐに後悔する。戻る気も沸かなかったのだが、もう一苦労することになった。要するにこうである。地図を見ると車道は斜滑降のようにジグザグに峠から降りていくが、歩道は光徳牧場まで直滑降である。勾配は必ずしも一定というわけではないが、等高線がかなり狭い、つまり急坂になっていた。それだけではない。歩道として整備してあるのは結構なことだが、階段状のステップの一段が急坂のためとてもギャップがある。一段一段がいちいち「どっこいしょ」とか拍子をつけ景気づけながら下りて行かないとならない。登りでないだけ、まだまし、という見方にも立てると思うが、八丁の湯から少し雨宿りしてきたとはいえ、かなりの距離、高低差を歩いてきた身にはなかなかきついものがある。周囲にまったく人はいないので、こだまが聞こえるぐらい樹林のなかで奇声を発しながら一歩一歩高度を下げて行った。整備された歩道ではあるので、500mごとに規則正しく標識がある。また修学旅行生を意識しているような啓蒙的な立て看板「ダケカンバとシラカンバ」(*3)もある。白樺の林を抜けていっていると自分は思っていたが、そうではなくダケカンバの林であることがそれによって知れた。
 松や樺に覆われた段差の大きい歩きにくい登山道が延々と続いたが、ついに報われるときが来た。構造物の脇をとおり光徳牧場の構内に出た。光徳牧場のベンチで腰を下ろす。健全な観光客と一緒になる。売店で温かい牛乳を頼む。まだ水は残していたのだが、なにか贅沢がしたくなったのだと思う。150円の贅沢であった。ちょうど修学旅行のバスが3台乗り付けてくるのと入れ替わりで歩き始める。小学校も夏休みだと思うのに授業日数が足らなくためか、本来は休みの日だと思うのに学校行事が組まれているのであろうか。少し歩き牧場の横に出る。緑一面の数100m四方の草地に乳牛が思い思いに佇んでいる。日も傾いているためか牛舎近くに集まっているようにも見えた。時刻は既に4時を過ぎている。戦場ヶ原は明るい時間に歩きたいので、今日はここまで。最寄りのバス停まで歩き第一回の日本一巡の旅を締めくくり、帰宅しようと思う。光徳沼から流れ降りる逆川沿いに散策路があるようだったが、その入り口を見つけられず車道を歩く。この車道は山王峠近くで分かれた山王林道である。深い木立ちのなかロープで歩道が仕切られており、時折通り過ぎる車から隔離されている。先ほどの修学旅行バスも短い逗留を終え、走り去って行った。この様子では車道から牧場を垣間見た程度の滞在時間だったろうと思う。湯ノ湖あたりのホテルの予約が取ってあるのであろう。
 国道から山王林道にちょっと入ったところにあるバス停にようやく到着する。光徳入口バス停である。時刻を見ると日光駅行きのバスは15時48分で最終である。いまの時刻は16時30分。絶句する。バスの時刻までは調査していなかった。こんなに早い時間が終バスだとは想像だにしなかった。湯元温泉行の終バスは16時44分があるが、既に日光駅行きは終わっている。そうならばタクシーでも使うほかあるまい。タクシーが拾えそうか電話で呼ぶしかないかを判断するために国道まで出ることにする。いろは坂を下ることになるし1万円程度の散財かと観念したが、国道上にも別のバス停がある。何のことはない。光徳牧場経由となる日光駅行きの終バスが終わったに過ぎなかった。国道上の光徳牧場を経由せずに直通するバスは1時間2本程度運行されており、次は16時58分発であった。汗臭い服では周囲に迷惑だろうから着替えをし水を飲み、戦場ヶ原上を一直線にひかれた国道上のバスで時折走り去る乗用車や観光バスをぼんやりと眺めて時間をつぶした。次回は光徳入口バス停を起点に戦場ヶ原から再開する。日光駅へのバスは華厳の滝最寄りの中禅寺温泉から外国人が多数乗り込んで来て混雑した。1時間ほど揺られ東照宮最寄りの西参道で一群は降りて行った。ある外国人は1000円札を持っておらず、2000円で両替しようとした。このバスは1000円札の両替機はあるのだが2000円札は対応していない。運転席真後ろの席だった私が1000円札2枚と交換した。久しぶりに手にした2000円札であった。直通の快速列車で今回の旅は始められたが、東武日光駅からの帰りは普通電車で下今市、新栃木、南栗橋で乗り換えて帰宅した。


(*1)西沢金山について
 この地、西沢は昭和初期まで金鉱石を産出し国内外に名を轟かせた鉱山町であった。最盛期には年採掘量百kgを誇り、住民も千三百人を数え、学校、病院なども設置されていた。現況から当時を想像することは困難であるが、林道沿いに住宅の基礎石積が見られ、ゴールドラッシュに沸いた面影が忍ばれる(ママ)。ここの金脈は外に露出しているものが多く、その数二百二十九、坑道延長一万二千mで「足ノ舞ヒ手ノ踏ム所ヲ知ラズ」と当時の報告文は伝えている。

(*2)日光の治山
 鬼怒川上流水源地帯にあるこの森林は、山の動物や草花が生活するための大切な場所ですが、それ以上に雨などを地中にたくわえ少しづつ流す働きや、山が崩れたりするのを防いだり、雪崩や落石を防いだりする大切な働きをもっています。しかしひとたび台風や豪雨にあうと山崩れを起こし、土石流や洪水となって、人々の生命や財産をおびやかす恐ろしい山に変わってしまいます。こうした災害を防ぎ、よりよい森林を次代に残すため栃木県では荒れた沢や崩れにダムや土留などの治山工事を行っています。

(*3)ダケカンバとシラカンバ
 このあたりに見られる白っぽい木肌をした木は、シラカンバ(シラカバ)と似ていますが、シラカンバでなくダケカンバです。日光あたりではダケカンバは標高1500メートル以上の亜高山帯にはえ、シラカンバは1000~1500メートル位にはえるので、この附近(1600メートル)はダケカンバ林、光徳附近(1500メートル)ではシラカンバ林になります。どちらも日当たりのよい所が好きで、日陰になると衰えます。


c001 奥鬼怒歩道

c002 日光市営バス 女夫淵発車時刻表

c003 奥鬼怒林道

c004 西沢金山について


c005_1 日光の治山

c005_2 日光の治山

c006 ダケカンバとシラカンバ

c007 「楢林」という地名


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2015/7/28
 07:40 八丁の湯
 08:56 女夫淵
 09:37 川俣温泉
(途中2回 雨宿り)
 12:19 西沢金山寺跡
 14:55 山王峠
 15:55 光徳牧場
 16:30 光徳入口バス停


歩行距離:35km(推定)