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天文九年(1540)
(西日本)
大内氏にとって、領国の意識は中国地方と北九州地方がほぼ等分であることが推定される。
さらに博多がある分、少弐氏を逐って得た九州の方の意識が高かったのではないだろうか。
大内を中心に尼子・大友で三分する形勢。この状況から尼子晴久の安芸郡山城攻めが始まる。
(中央)
享禄四(1531)年 天王寺合戦で細川高国に勝利した細川晴元が引き続き政権掌握
(東日本)
守護代家老・織田信秀の尾張支配状況はどうだったのだろうか。もし100%支配していたのなら、
今川義元と互角の勢力ということになる。それほどの尾張のポテンシャルということになる。
今川の三河への、武田の信濃への、北条の武蔵への浸透が顕在化している。三家の同盟はまだ成らぬが、
いずれもそれぞれのフロンティアを持ち、それぞれが同程度の勢力であり、善徳寺会盟への伏線がある。
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