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府藩県三治制/廃藩置県/府県統合/分離再置県 の俯瞰

◆戦国日本 1540-1590◆
◆東京 1859-1977◆
◆日本一巡◆

【戊辰戦争・幕府領収公】

【府藩県三治制(版籍奉還)下での統合】

【第1次府県統合(廃藩置県下での302県から72県への統合)】

【第2次府県統合(72県から35県への統合)】

【100年続く今の姿へ(分離再置県)】

K4/1/1 ~ M2/3/30

M2/4/1 ~ M4/7/13

M4/7/14 ~ M4/11/22

M4/11/23 ~ M9/8/21

M9/8/22 ~ M21,M26,S18

明治4年1月
九州 中四国 近畿 東海北陸甲信 関東 奥羽越 北海道 琉球

九州 中四国 近畿 東海北陸甲信 関東 奥羽越 北海道

(M5)琉球藩設置
(M9) 九州 中四国 近畿 東海北陸甲信 関東 奥羽越

(M12)廃琉置県 (M15)北海道
(M16) 九州 北陸 (M19)北海道 (M20)近畿 (M21)四国 (M26)関東

(K4 4/11)
江戸城無血開城
(K4 閏4/24)
京都府・箱館府設置。これ以降、天領・旗本領や開港5港に府県設置が相次ぐ。
(K4 5/24)
徳川家達、70万石で駿府藩主となる。
(K4 6/11)
政体書(法令第331号)公布。府藩県三治制
(M1 9/8)
明治改元
(M1 9月)
奥羽越列藩同盟軍相次いで降伏(4日米沢藩、10日仙台藩、22日会津藩、24日庄内藩)
(M2 1/20)
薩長土肥、版籍奉還の奏請。この後各藩これに追従。

(M2 5/4)
旧会津藩領に若松県設置。これ以降、東北諸藩からの収用地に相次いで県を設置。
(M2 6/17)
新政府、各藩の版籍奉還を許可。知藩事を順次任命。
(M2 7/8)
箱館府を廃し、開拓使設置。
(M2 12/2)
旗本領の上知が決定。府藩県のいずれかに所属し、全国の旗本領消滅。
(M3 7/10)
盛岡藩、藩財政破綻により廃止し、盛岡県設置。これ以降、財政破綻した藩の救済合併が相次ぐ。
(M4 1/5)
寺社領の上知が決定。府藩県のいずれかに所属し、全国の寺社領消滅。

(M4 7/14)
全国で藩を廃し、県を設置。
(M4 9/4)
弘前県に統合(弘前県、黒石県、斗南県、七戸県、八戸県、館県)。これ以降、大規模統合が11月まで相次ぐ。
(M4 11/2)
東北地方各県で統合。
(M4 11/14-15)
関東、中部、中四国、九州各県で統合。
(M4 11/20-22)
中部、近畿各県で統合。

(M4 11月~M5 6月)
仙台県→宮城県、金沢県→石川県、名古屋県→愛知県など改称が相次ぐ。
(M5 9/14)
尚泰を琉球藩王に封じる。琉球藩設置。
(M5 9/25)
七尾県廃止。石川県、新川県への分割移管。これ以降、県の統廃合が明治9年にかけて相次ぐ。
(M6 1/1)
旧暦は明治5年12月2日まで。この日より新暦採用。
(M9 4/18, 8/21)
全国で府県統合。

(M12 4/4)
琉球藩を廃し、沖縄県を設置。
(M13 3/2)
徳島県の高知県からの分離再設置。これ以降、再置県が明治21年にかけて断続的に実施。
(M19 1/26)
札幌県、函館県、根室県廃止。北海道庁を設置。
(M21 12/3)
香川県、愛媛県から分離し再設置。現在の47道府県が成立。
(M26 4/1)
三多摩、神奈川県から東京府に移管。現在の47道府県界がほぼ確定。
(S18 7/1)
東京府と東京市を廃止し、東京都設置。

8府25県300諸藩

3府41県300諸藩1使

3府72県1使

3府35県1使1藩

1都1道2府43県

東京府
小菅県
葛飾県
日光県

神奈川県
大宮県
宮谷県
岩鼻県

品川県
韮山県
若森県

東京府
小菅県
葛飾県
日光県

神奈川県
浦和県
宮谷県
岩鼻県

品川県
韮山県
若森県

東京府
入間県
印旛県
栃木県

神奈川県
足柄県
新治県
宇都宮県

埼玉県
木更津県
茨城県
群馬県

東京府
千葉県
群馬県

神奈川県
茨城県

埼玉県
栃木県

東京都
千葉県
群馬県

神奈川県
茨城県

埼玉県
栃木県

京都府
奈良府
摂津県
久美浜県

大阪府
兵庫県
河内県

渡会府
堺県
大津県

京都府
堺県
五條県
生野県

大阪府
大津県
度会県

兵庫県
奈良県
久美浜県

京都府
堺県
奈良県
飾磨県

大阪府
大津県
安濃津県
豊岡県

兵庫県
長浜県
度会県
和歌山県

京都府
堺県
和歌山県

大阪府
滋賀県

兵庫県
三重県

京都府
奈良県
和歌山県

大阪府
滋賀県

兵庫県
三重県

甲斐府
高山県

三河県
伊那県

笠松県

甲府県
長野県

笠松県
伊那県

高山県
本保県

名古屋県
静岡県
筑摩県
福井県
新川県

額田県
山梨県
長野県
金沢県

浜松県
岐阜県
敦賀県
七尾県

愛知県
岐阜県

静岡県
長野県

山梨県
石川県

愛知県
岐阜県
石川県

静岡県
長野県
富山県

山梨県
福井県

新潟県

佐渡県

新潟県
若松県
盛岡県
登米県

柏崎県
福島県
江刺県
角田県

佐渡県
白河県
胆沢県
山形県

新潟県
仙台県
若松県
青森県
酒田県

柏崎県
福島県
一関県
山形県
秋田県

相川県
平県
盛岡県
置賜県

新潟県
岩手県
秋田県

宮城県
青森県

福島県
山形県

新潟県
岩手県
秋田県

宮城県
青森県

福島県
山形県

倉敷県

隠岐県

倉敷県

浜田県

丸亀県

鳥取県
北条県
広島県
香川県
高知県

島根県
岡山県
山口県
松山県

浜田県
深津県
名東県
宇和島県

島根県
山口県

岡山県
愛媛県

広島県
高知県

鳥取県
広島県
香川県

島根県
山口県
愛媛県

岡山県
徳島県
高知県

長崎府

日田県

長崎県

日田県

長崎県
小倉県
熊本県
美々津県

福岡県
大分県
八代県
鹿児島県

三潴県
伊万里県
都城県

長崎県
熊本県

福岡県
鹿児島県

大分県

長崎県
大分県
鹿児島県

福岡県
熊本県

佐賀県
宮崎県

箱館府

琉球王国

開拓使

琉球王国

開拓使

琉球王国

開拓使

琉球藩

北海道

沖縄県

◆編集後記◆
 3府72県という言葉は知っていた。自由民権運動の抑え込みを背景に水源を理由として三多摩が明治期に神奈川から東京に移管されたことも知っていた。いまの長野県から岐阜県にかけてかつて筑摩県という自治体があったことも知っていた。しかし72県の全貌は知らないでいた。日本中を旅する計画を立てていて、その全貌が気になり始めた。Wikiで調べ始めると、単に72県を数え上げるだけでは物足らなくなってきた。その前後の消長が予想を超える激しさだったせいだ。明治の変革のスピードに驚かされ続けた。慶喜の大政奉還を起点にしても戊辰戦争、版籍奉還、廃藩置県を経て3府72県まで、ほぼ5年。現在の区割りがほぼ表れる明治9年の第二次府県統合まで、ほぼ10年。そこから100年以上の間、ほぼ同じ地域区分で日本人は生活している。もちろん古代律令制での行政区分である「国」を下敷きにしており無から生み出したわけではない。さらに明治の北海道と沖縄は成り立ちがやはり異なることも知った。
 それにしてもである。短期間に制度変更し、かつ出来上がった制度が今日まで機能し続けていることに驚かされる。現在、いわゆる一票の格差是正に起因する県を越えた「合区」などに43県の制度矛盾は感じられるにしても、合区を容認する意見は少数派のようであり依然支持されている制度だろうと推定する。2016年の参議院議員選挙で合区のあった鳥取・島根、徳島・高知が、明治9年の第二次府県統合で、今日から見て、大「島根」県、大「高知」県として設定されている。東日本を中心に、明治9年の統合のまま現在に至る県がある一方、統合から4年で徳島県分離再置県。その1年後に鳥取県分離再置県となっている。香川県が愛媛県でも徳島県でもない、あるいは鳥取県が島根県でない、なにかがあるのだろうと思う。その一方、中央からの視点・上から目線もまた100年間統合する方向で見られ続けていたということなのかもしれない。
 このような大規模な制度変更を迅速に遂行できた営力はどこに求められるのだろうか。スーパーゼネコンのキャッチコピーではないが「地図に残る仕事」という比ではないほどの大事業のように思える。答えをいま、私が持っているわけではない。なぜだろうと疑問に感じ始めた、というところに過ぎない。各藩の財政逼迫・破綻といった幕藩体制の制度矛盾はベースにあるだろう。世界史的な西欧列強に対する反植民地運動として「日本」人としてのマインドが広く共有されていることも有力な原因のひとつだろう。幕藩体制下の藩は領地を治めているが歴史的・政治的なな経緯で領国が定められていた。彦根藩を例に挙げると、その領国は近江国愛知郡・犬上郡・坂田郡・浅井郡・伊香郡に加えて、下野国安蘇郡のうち15村、武蔵国荏原郡のうち10村及び多摩郡のうち9村が彦根藩領だったということだ。廃藩置県時の23区は東京府、品川県、小菅県だけでなく彦根県の領域も広がっていた。明治2年に版籍奉還され封建制でなく土地は『国有化』されたのであるから、為政者側の都合のよいように、第1次統合では領域として統治できるよう統合されたことが大きいと思う。現在の23区はほぼ東京府にまとめられたが、不可逆的な流れではあったろう。ただしまとめられ方にいろいろと不具合があり、統廃合、改称や県庁の移動、再置県などが全国で発生したことに枚挙に暇がない。
 きれいごとばかりでない。鹿児島県鹿児島市、山口県山口市、高知県高知市、佐賀県佐賀市と、宮城県仙台市、茨城県水戸市、石川県金沢市、愛知県名古屋市は何が違うのだろう。県都を県名に戴ける薩長土肥と徳川御三家や佐幕藩で明瞭な差がある。静岡県静岡市や和歌山県和歌山市で反証することもできるだろうが、静岡はもともと駿府だったことを指摘しておきたい。福山藩の深津県、小田県での扱いや、長岡藩の柏崎県への吸収などの資料を見る度、ひっかかりを覚えながらも作業してきた。でもなお冒頭のとおり、迅速な制度改正結果が今日にも永続していることに驚きを禁じえないのである。

 ところで私は学生時代、理学部にある地理学科に在籍していた。今回の作業を通じて、「地域区分」の方法論を思い出していた。ひとつは等質地域という区分法、もうひとつは結節地域という区分法である。等質地域はケッペンの気候区分や都市計画の用途地域が代表例だが、ある規準に従って同じ属性の土地をまとめる方法である。一方の結節地域は首都圏といった区分で機能的なつながりを指標にして区分するものである。かつての大英帝国の版図も、イギリスのテリトリーとして地図を単色に塗るので等質地域のように思えるが、本国と植民地の機能的なつながりだと見れば立派な結節地域である。このように結節地域は、要素地域どうしが対等に機能分化することもあるかもしれないが、多くの場合は核心と周辺という概念と結びつきやすい。
 同一の県にまとめあげられたからには何らかの文化的同一性を指標に形成されたこともあったろう。先に述べた徳島県や鳥取県、香川県の分離再置県はある種の同一性を感じさせる。これらは文化的同一性が県を作った先天的なもののような気もするし、県歌「信濃の国」がある種統合の象徴となっている長野県は後天的に同一性を獲得していったのかもしれない。いわゆる県民性がいろいろ取り上げられ、その主張はそれなりに支持されているように思う。ただ県内が一色に染め上げられているわけではないようにも思う。県内での多数派の性格が県民性と結びつくにしても、少数派はいずれのときでも、いずこの場所でも、存在するように思う。等質地域以上に、しばしば結節地域すなわち『核心』と『周辺』を思った。
 いくつか例示したい。関東に結城という街がある。人によっては結城紬や、関東の名族である結城氏を想起されるかもしれない。西村京太郎に『終着駅殺人事件』というのがあるが、その現場の一つが結城市郊外の鬼怒川畔だった。さて結城である。周辺の例として挙げている。関東平野の真ん中なので、周辺・辺境という言葉とは違和感があるかもしれない。しかし所属する県がかなりめまぐるしく変更になっている。県の核心でない場合、県に対する忠誠心が薄くなるのではないだろうか。前置きが長くなった。江戸期、結城藩が代々置かれ、廃藩置県後結城県になっている。第1次統合では江戸川沿いの県が集約され、印旛県に属した。印旛県の名称は県庁を今の千葉県佐倉市に置く予定だったとされるが、実際に設置されたのは流山だったとされる。第1次統合から1年半後の明治6年6月15日に関東地方はいくつか府県統合があった。印旛県は木更津県と合併し、千葉県となった。結城から見ると県庁はさらに離れた千葉となった。さらに2年後の明治8年5月7日、現在の茨城県と千葉県は利根川を境に再編することになり、利根川以北の結城は、茨城県に所管替となり、現在に至ることになる。下総国だった結城が茨城県に属してから既に140年余り。もう茨城県以外のなにものでもないのかもしれないが、翻弄される周辺の印象を与える。同様のことは岩手県一関、兵庫県豊岡、広島県福山、大分県中津でも感じた。
 一方の核心を感じるのは、東京・京都・大阪の三府は言わずもがな。山口県の存在が目を惹いた。結城とは別に記事がないことに対してである。長州藩は萩の印象が濃いが、幕末に山口移鎮して以来藩庁は山口に置かれ、山口藩から廃藩置県後山口県となった。山口県が他と違うのは、第1次統合で支藩だった旧長府藩領や旧岩国藩領などをあわせた統合後の山口県は、今日まで永続していることである。同様な例として秋田県、山梨県、和歌山県があり、第1次統合の状態で今日まで至っている。周辺と核心ということでは北海道と沖縄に触れないわけにはいかないが、勉強不足のためあまり書けない。琉球王国は明治5年に琉球藩となり、琉球藩となった当初は外務省所管だったが、明治7年に内務省所管に変更され、さらには明治12年に廃琉置県として沖縄県が設置された。第二次大戦後の米国による統治と復帰など、結城よりさらに一層翻弄される周辺の印象を与える。

 戊辰戦争から廃藩置県・府県統合の動きをさらに肉付けするには、松田道之三島通庸クラスの官僚たちの事跡にもう少し通じている必要があるだろう。だが、まずは個人の事跡をあまり強調せずにまとめることとした。しばらくはこのレベルで熟成させることとしたい。