| 秋月 | [伝統的建造物群保存地区一覧] | 秋月といえば、日本史で習った「秋月の乱」を思い出す向きが多いだろう。西南の役につながる不平士族の反乱と明治政府による鎮圧という文脈で語られる事件である。ならば江戸期の秋月はどこかの殿様の城下だったのだろうと推察できる。事実そうである。黒田家五万石。福岡・黒田52万石の分家である。 | 現在の秋月は福岡県甘木市秋月。甘木市街から北へ、国道322号線を筑後川の支流(小石原川)に沿って、5km程遡ったところにある。甘木バスセンターからバス便もある。国道はバイパスされているために穏やかな佇まいのままである。城址は中学校になっている。遠く戦国期にできたとされる 黒門 や 長屋門 が秋月の代名詞的存在となっている。街の入り口には 石橋(眼鏡橋) があり、城跡に近いところには 一直線に伸びる馬場跡(杉の馬場) といった史跡や、 特産の鞠 が出迎えてくれる。 水の豊かな土地 で、そのせいでもないだろうが訪れたときには雨に降られた。総体として西日本らしいまとまった「里」の雰囲気を楽しめる。 |
秋月は中世、秋月氏という勢力を生んでいる。秋月は「秋月の乱」より遥か前、中世史の舞台に何度かなっている。 永享5(1433)年 少弐満貞、大内持世の攻勢により、秋月で自刃。(鎌倉期以後の筑前の覇者・少弐氏が、室町幕府を背景にした大内氏に敗れる) 弘治2(1556)年 秋月文種、大友氏に謀叛。翌年、古処山城落城し、文種自刃。遺子・種実は毛利に匿われる。 永禄2(1559)年 秋月種実、古処山城回復(毛利=大友抗争の一翼を担う。) 永禄10(1567)年 龍造寺隆信、秋月種実ら筑肥勢、大友氏から離反。休松で大友軍を破る。 (こののち秋月種実は龍造寺勢力、次いで島津勢力の一翼を担う。中央は1568年、信長上洛の頃である。) 天正15(1587)年 秀吉、古処山城を開城さす その後の秋月氏は秀吉による九州仕置によって日向に転封された。江戸期は日向高鍋2万7千石として幕末まで存在した。 |
所在・福岡県甘木市秋月 交通・大分自動車道≪甘木IC≫、甘木鉄道≪甘木駅≫、西鉄甘木線≪甘木駅≫ |