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清洲橋
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清洲の名は深川の清澄町と日本橋中洲町を結ぶ橋であることに由来し、橋の開設にあたって公募されたものである。
深川の清澄町はわが国セメント工場の発祥の地であり、庭園でも知られ、また芭蕉庵跡にも近い。
日本橋中洲町は明和8(1771)年に埋立てを開始して隅田川畔の繁栄の一翼を担った。
その後、中洲埋立地は取り壊され、元の水浸地になるなど複雑な歴史を持つが、明治19(1886)年に再び埋立てられ、
新しい土地として生まれ変わった。
この二つの町を"中洲の渡し"が結んできたが、大震災後の復興事業でドイツのケルンの大吊橋を範として女性的な曲線美をもつ
吊橋を架けることになり、昭和3(1928)年この橋は完成した。
第二次世界大戦でケルンの橋は爆破されてなくなったが、清洲橋は東京大空襲の中でも多くの被爆者を救って
幹線道路の橋としての役割を果たしてきている。
(東京都:1983.3)
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