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2024/03/16 『日本一巡~晴行雨読~』第97日公開。いろいろ当てが外れた旅となった。①奥多摩駅からのバス。丹波山行きのバスに乗るはずだったが満員の登山客に委ねてしまい、途中止まりのバスに乗ってしまった。続行運行したバスが丹波山行だった。 ②帰りのバスが冬期運休だった。仕方なく夕暮れてきたところまで続けて歩き、タクシーを呼んだ。6,000円也。
2024/03/07 『日本一巡~晴行雨読~』第95日,第96日公開。前回の更新からしばらく経った。仕事が忙しくなったためである。正月休みすら気持ちが追い詰められていた。自力他力いろいろあって一息つけられるようになった。
2023/10/28 『日本一巡~晴行雨読~』第94日「精進ヶ滝と石空(いしうつろ)川渓流」を公開
 関東地方から山梨県に舞台を移そうとし、旅程を検討すると、少し困難が目立ってきた。林道の冬期通行止めやバス便の冬期運休が散見されてきた。山間地が目的地なのでモロに影響している。今回の精進ヶ滝林道は紅葉の期間が過ぎると4月下旬まで通行止めとなるようだ。精進ヶ滝は神代桜とセットで踏破したいが、神代桜は当然4月前半には散ってしまうので行程を分離せざるをえない。精進ヶ滝まではバス便もないし、往復でおよそ40kmとなり日帰りぎりぎりの旅程となった。日野春駅往復とすると距離は短くなるが、ピストンになるのであまり気持ちが進まない。とはいえ出てきた。快晴である。神代桜は下見として通ったが、樹勢はだいぶ衰えているとのことだ。シーズンオフの実物を見て、後続を急ぐ気持ちもあり、春の再訪をせずに、これで訪れたことにしようといったんは考えた。(後述するように撤回することになるが。)
石空川渓流は、整備はしてあるがそれ以上に川の上流はこういうものだという魅力の詰まった素晴らしいところである。ハードな場所もあるので、万人向けではないかもしれないが、一押しである。一方、落差121mの精進ヶ滝は、その前に九段の滝が控えていることもあり近づけず、遠目に見るだけだったので、少し残念な気がした。
 精進ヶ滝を後にして、峠を越えてから小武川を下る。5時半には薄明かりとなり、6時にはとっぷりと暮れた。暮れてからほどなくして里に下りることができたので、安堵した。ただ穴山駅まではそこからさらに穴山駅は九十九折を経た崖上にあるので、1時間半の歩行となった。あまり下調べせずにルート選択したが、甲州街道を行けたはずだったことにあとから気づいたが後の祭りであった。甲州街道のリベンジをするため、春・神代桜の時期に日野春駅から再訪しようと考えている。
2023/10/11 『日本一巡~晴行雨読~』第93日「甲州街道 富士見・蔦木・台ヶ原」を公開
 群馬県は沼田まで踏破したが、群馬県完結の前に先に山梨県に着手した。沼田から先は谷川岳までになるのだが、僅かであっても雪がみたいと思った。一の倉沢までの歩道は例年11月中旬までが通行期間らしく、ぎりぎりまで待ちたい。その先の新潟県、長野県になると日帰りが厳しくなるため、今の日帰りを繰り返す旅の様式を踏襲するなら、次は山梨県となる。山梨の紅葉なら昇仙峡に行ってみたい。いきなり昇仙峡では唐突感があるので、山梨県を始めてみたくなった背景である。
 甲州街道は素朴な街道を往くことができる。国道20号線は並走するが、旧道は保全されている。よい道だった。
2023/10/5 『日本一巡~晴行雨読~』第92日「秋桜咲く静かな山里と赤岩集落」を公開
 半年ぶりに川原湯温泉駅を訪れ、多野郡上野村から利根郡吹割の滝まで群馬県内が一本でつながった。あとは秩父から多野郡への道だが、中津峡土砂崩れの影響でバスが運行休止しており次善のプランを立案しなければならないと考えている。そこがつながると再び日本一巡の道は一本につながることになる。
2023/09/18 『日本一巡~晴行雨読~』第90日第91日を公開
 第90日は、利根郡・吹割の滝から沼田駅まで。予定ではその先の行程を考え後閑駅までを目指していたが、吹割の滝で時間でかけたのと、2回の崖線急登、そして日影南郷の庄屋屋敷(南郷の曲屋)で長逗留したことによる。日影南郷の旧鈴木家住宅は、話しかけてきた隣の床屋のおじさんのコメントによれば、行政の補助で藁葺屋根の葺き替えを最近したようで、大層立派な屋敷である。正面玄関から入り、曲屋なので土間から入ると奥から女性二人に迎えられる。入館料110円である。縁側で冷えたお茶をいただき、倉に入るとこの土地の有力者だったことが窺い知れる。きれいな足湯が整備されており熱い湯をいただく。私の他には福岡ナンバーのカップルがもてなしを受けているのみである。悠々と過ごしたため、河岸段丘上の沼田市街に上がる頃にはだいぶ日も傾き、大正ロマン薫る洋館に辿り着いたときには日没後の残照でかろうじて雰囲気を味わった。沼田駅ホームに立つと、ちょうど大輪の花火が上がり始めた。
 第91日は、吾妻郡・北軽井沢を歩いた。本来日帰りでなく、鬼押出し―草津(泊)―草津白根山湯釜往復して草津(泊)―川原湯温泉駅という久々の泊まり掛けでプランしていた。しかし湯釜では火山規制が継続しており、途中の百名瀑(常布の滝)は、アプローチが厳しく遠望するほかないもののようである。群馬県がほぼ煮詰まってきたのでショートカットすることとした。つまり鬼押出し―【吾妻線の適切な駅】―川原湯温泉駅というように日帰り2回に分割したのである。第84日に大戸の関に行っており、信州街道の次の宿である狩宿に立ち寄ることを考えると、【吾妻線の適切な駅】は、羽根尾とするのが自然だろうとの計画変更に落ち着いた。なるべく日のある季節に歩行したいため、午後ににわか雨の予報があるなか、南郷の曲屋から1週間後に再征した。14時、300円の焼きとうもろこしを待っていると、ぽつりと来た。とうもろこしを受け取って歩き始めると本降りになったので、木蔭で雨宿りしながら完食する。食後歩き始めるがさらに雨脚が強まり、中学校前のバス停に屋根がかかっており、そこで本格的に雨宿り。横殴りの雨に体が濡れるが、屋根のありがたみを感じる。雷鳴も轟く。生徒が踏みしめるのかバス停は窪地のようであり水たまりになる。屋根のあるエリアのなかで少しでも高地に寄る。雨雲レーダを見ると激しく降っている範囲は本当に局地的にようである。頼れる正確な情報があるということもありがたい。15分ほどじっとしていると、普通の本降り程度になってきたので傘を差して進む。狩宿の手前で小降りとなり、アスファルトの路面や周りの林から靄が立つ。山紫水明的妙を感じる。
 狩宿では雲間から光が差してきた。そのまま夕暮れ迫るころまで小康で、羽根尾駅手前の吾妻川からの登坂で降り始めた。そのまま羽根尾駅の屋根に降る雨音を聞いていた。で、話が終わるはずだったが、さらに顛末が続く。万座鹿沢口で雨量計が基準を超えたため、運転見合わせしているとアナウンスがある。羽根尾は普通の降りだが、午後からの積算雨量が基準を超えたのだろうか。バスによる振り替え輸送を手配中だが、まだ手配できていないとの続報が来る。夕闇が深くなる。やがて4人ほどの男性客を乗せた地元のタクシー会社のRV車が羽根尾駅に横づけされた。やれやれである。長野原、新前橋、高崎、上野で乗り換え、日付が変わる前に帰宅した。
2023/08/20 新コンテンツ『「国」「郡」による日本の地域区分~郡による700分割・日本を少し細かく把握したい~』を公開
 「郡」を意識するようになったのは、日本一巡の旅をしてからである。日本のあらゆるところへは行けないが、どこに行き、どこに行かなかったか。郡をベースに把握するとある程度デジタルに把握できそうだと感じたところからだ。茨城県は結城郡には行ったが多賀郡には行ってないなどである。
 最初、郡は自然環境(河川・水系)や歴史的機能(古街道)を反映し、永続性のある地域区分であることを期待して始めたが、どうも違うらしいことがわかってきた。概ね1900年の郡制施行時のものを尊重しているが、地域区分の面から妥当性を欠くものもあり、そこは適宜1879年ごろの郡区町村編制法施行時の郡を尊重することもある。(福島の相馬郡ではなく、相馬市(中村)と南相馬市(原町)が独立したものとして扱うようにしている。)あくまで地域区分として有効なものとして定義しているので、管理人による恣意性は含まれている。郡の定義も政治的産物であり。生きているからだ。
 構想から3年ぐらい経過しているように思う。郡の定義、代表的な河川・水系の選択とデジタル化、代表的な旧街道の選択とデジタル化で、およそ700ある郡の性格付けをし始めたが、どうもしっくりこない時期があった。米子が鳥取県なのは、出雲街道ではなく鳥取藩領だからである。調べるにつれ江戸時代の領地を調べないわけにはいかなかった。が、郡と領地が一致しているものと、そうでないものの差が激しすぎた。世田谷区に彦根藩領があるのは知っていた。寺社領が散在していることも知っていた。しかしWikipediaで割り切って調べたとしても、十分に歯ごたえのあるものだった。
 本来は700郡にコメントしたかったが、116区分でまずは開始する。
 発足の経緯もあるので、きっと日本一巡の裏腹なコンテンツになるのだろうと思う。日本一巡はといえば、現在は埼玉県の秩父郡と、群馬県の利根郡で停滞している。
2023/07/01 『日本一巡~晴行雨読~』第89日を公開
夏の軽井沢を満喫。落葉松林に囲まれた別荘だからこその軽井沢だと再確認する。またGoogleマップに比べてのYahoo!マップ(=Zenrin地図)の正確さを再認識した。一方で標識地(ピン止め)の位置の正確さは、ユーザによる訂正が入っているためかGoogleマップに軍配が上がる。要は一長一短だということを痛感した。鬼押出し園からのバスにカメラを忘れた。ここで写真が公開できているのも、西武観光バス軽井沢営業所様の迅速な手配の賜物です。感謝しています。
2023/05/22 『日本一巡~晴行雨読~』第88日を公開
前橋での広瀬川の風景、佐渡奉行街道・伊香保街道・三国街道・沼田街道(白井宿)巡り、利根川中流域と棚下不動滝・上越線、所用12時間・工程40kmを堪能した。前回速度超過のため、体に負担をかけたので、急がずペースを保って歩行した。
2023/04/30 『日本一巡~晴行雨読~』第85日~第87日を公開
4月は桜の季節に2回と連休前の1回と3回でかけた。多野郡上野村から神流町は集落ごとにみごとな桜がそれぞれに満開で、最良の季節に訪れることができた。スカイブリッジは4月からシャボン玉のアトラクションを行うので、満を持して4月2日に訪問したのである。晴れてよかった。
その週末に榛名山東麓を巡ったが、伊香保温泉の手前で名残の桜吹雪に出会えた。
そして桐生はやはり街として更新がされていないために、古い町屋が残らざるを得ないのだと思うが、他の重伝建地区との違いは工場跡が含まれていることである。しかもレンガ造の。他にはない風情である。さらに高津戸峡である。晴れていたせいもあるが風趣がよい。何組かすれ違ったが、あまり知られていないがよい渓谷だった。ただ当日は40km近いコースだったため、13時から18時まで通常の5割増しぐらいの速度で歩いたので、左足が悲鳴を上げ1週間程度痛んだ。ほどほどにしないとならないと思う。
2023/03/21 『日本一巡~晴行雨読~』第84日一期一会 大戸・岩櫃・特急草津 を公開
また中抜きをして、軽井沢・草津をスキップをして吾妻郡に行く。北軽から嬬恋村、草津は日帰りではなかなか難しく、日帰り圏内部分をつまみ食いしている。吾妻川を単に下るのではなく、国定忠治で名高い大戸関を経由することにした。これが正解。大戸は関所跡だけでなくアーチ橋や滝のある見どころのある場所だった。一期一会を感じる。さらに大戸からアプローチすることで、岩櫃山を正面に見るコースを取れた。時間の関係から岩櫃山城はいけなかったが、断崖がそそり立つ山容は目を奪われる。中之条旧市街は鉄道駅よりも一段高い段丘上にある街で、鉄道開通以前からの街であることが知れる。そのため趣のある商家が若干数あり、心躍るものがあった。期待を超える一日になった。
2023/03/04 『日本一巡~晴行雨読~』第83日安中・原市杉並木・松井田 を公開
この日も落穂拾い。本来は西松井田駅から横川駅の1駅を残していたのだが、魂胆があった。中仙道の杉並木をルートに入れたく、わざと残区間を残しておいた。今日の起点が安中駅なのはそういう理由である。今日は、山登りが趣味のKさんに同行してもらった。彼は東海道を歩き切り、中仙道に歩を進め安中まで来ていると聞いたので、お声掛けさせていただいた。私の浮世の縁もあり旅行決行を決めたのが前夜で、そのタイミングだったにも関わらず、安中までお越しいただいた。写真の何枚かに写りこんでいる。
2023/01/26 『日本一巡~晴行雨読~』第82日富岡・南蛇井・下仁田街道 を公開
日の短い季節となり、落穂拾いを行う。第79日は上州福島駅が終着地で、第80日は飛んで下仁田駅が出発地であったので、その間をつなぐルートを取った。この日の1番のトピックは富岡製糸場でも南蛇井駅でもなく「ふじ久」である。ちょうどお昼時に掛かっていたタイミングで現れた平凡な店構え「餃子 ふじ久」。入ると、お婆さんがひとりで切り盛りしている。声の調子が思わしくないようで小声で囁いてくる。野菜炒め(400円)、ライス(200円)、餃子(200円)+税で、満腹した。地元の人たちでだんだんと席が埋まってくるが、料理も一品づつ出てくる。餃子はタネが少なく皮が厚い独特な感じのものでした。そこはかとなく良い気持ちで店を後にした。
2022/11/03 『日本一巡~晴行雨読~』第81日碓氷越えから林間の軽井沢 を公開
2022年の紅葉は、奥秩父・中津峡と決めていた。しかし9月に大規模土砂崩れがあり、県道が復旧するのは来年(2023年)8月の見込みとのこと。その後特に肚を決めてなかったが、急遽白糸の滝近辺の紅葉に変更した。8時10分発の横川駅からのバスが重要なのに、時刻をうろ覚えで計画を立てたせいか、早朝に乗る電車を間違えた。一計を案じ、大宮から熊谷を新幹線に乗り換えたが、信越線が一本後の電車だったことに横川のバス停まで行って気づくことになった。早朝以来の悪手の連続に途方に暮れた。次の1時間以上横川で次のバスに乗る手はなく、第81日は白糸の滝でなく、碓氷越えの紅葉となった次第。
2022/10/10 『日本一巡~晴行雨読~』第80日下仁田から妙義山 を公開
日が短くなってくる季節でもあり、想定歩行距離が長く鉄道線路沿いでないため目的地制約が強いものを選ぶと、この下仁田から西松井田への妙義山ルートの実施となりました。コスモスの季節であることはわかっていましたが、案外と野鳥?に出会う旅となりました。帰宅後、信越線の駅間で松井田と西松井田のみ短いことが気になり、信越線電化時の松井田駅移設とそれの代償としての西松井田駅設置を知りました。次に松井田にくる際には、単に中仙道をたどるだけでなく、旧松井田駅スイッチバック跡の探訪することにします(参考:日本最古のスイッチバック式駅 信越本線旧松井田駅の記録)。
2022/10/02 『日本一巡~晴行雨読~』第79日塩沢峠急登・「甘楽いろは坂」・小幡城下町 を公開
前回から週末を旅行日としています。もちろん平日でもよいのですが、仕事がなかなか忙しく、週末を旅行日とせざるを得なくなっています。そのような制約のなか、次の順路となる中津川渓谷は紅葉の名所であるために、晩秋まで取っておきたく。そのまた次の秩父鉱山は始発バスが平日のみ運行のため、これまた週末を旅行日としたいために採用できず。いろいろ考えたのですが、神流川沿いの群馬県多野郡から鏑川沿いの甘楽郡への山越えを、埼玉県の卒業を待たずに群馬県初日として行うこととしました。順調に歩行できたのですが、急登のため左足の甲が強張り、臨時で11時ごろに食事休憩するなど、30kmを超える行程であったことから、疲労の残る旅行でした。
2022/07/23 『日本一巡~晴行雨読~』第78日両神村・秩父古生層・丸神の滝
祝日の月曜日。曇りの予報だったのに、時折日差しが指す行程となりました。
2022/05/22 『日本一巡~晴行雨読~』第77日三峰口駅まで到達。
またまた本業が忙しくなり、とはいえ長瀞の桜・秩父の芝桜の時期を狙って休暇取得した成果です。ピンポイントでしか休暇取得できず、長瀞は雨天決行せざるを得ませんでした。満開かつ無人の桜並木訪問となりました。
2021/08/04 『日本一巡~晴行雨読~』の各都道府県別のインデクスページに対して、県別の地域区分(=1900年頃の郡域)別のまとめを追加
郡域境界については、ISIDA Satosi さまの地理データ集の『郡の変遷』中の境界データの使用許可をいただき組み込んでいます。快諾くださいましたことお礼申し上げます。
2021/06/26 『日本一巡~晴行雨読~』第74日行田市駅まで公開。
川越から寄居へ直行するのが本来順路だと思いますが、この日は寄り道。まず吉見百穴に目が行き、次いで「さきたま古墳群」を見つけてしまいました。
その後、元荒川をたどりたくなり、そのついでに「中仙道2008」で私を惑わせた前砂交差点を再訪したくなり、さらに武蔵水路と元荒川の立体交差が気になり、
「埼玉の建築物」といった本を見たら、前回の遠山記念館とともに、松高記念館が紹介されており、寄り道の割には30k超を長駆することとなりました。
次回は、その反動で寄居方向に転じ、一直線に男衾駅か鉢形駅まで到達するつもり。
2021/06/06 『日本一巡~晴行雨読~』第73日埼玉県東松山市高坂駅まで公開。
 重伝建地区ランキング暫定首位について佐原にするか川越にするか迷いました。河港風情の佐原に対し、重厚な蔵屋敷に加え大正ロマンも加味して川越を上位に評価しました。
 川島町の遠山記念館は入場料がかかることは知っていたので、やはり門前で敬遠することとしました。一方、鈴木家住宅は作業着姿のご当主自ら案内してくださるとのことでしたが、私が古民家に詳しいわけではないので辞退しました。
 上江橋、県道12号線、安藤川など直線を感じる経路だったことと、上江橋(荒川・入間川合流部)、釘無橋(入間川・越辺川合流部)と1橋で2川をまたぐことが特筆されます。また多摩川中流部で育った身としては、早俣橋近くの都幾川堤防が多摩川の2倍ほどの高さのように見え、荒川上流域の流域面積の広さに思いを巡らせました。
2021/05/23 『日本一巡~晴行雨読~』第72日さいたま市指扇駅まで公開。沖縄を除く46都道府県の6番目となる埼玉県に入る。
蕨宿から浦和宿間では旧家がところどころに残っている印象。埼玉県は荒川にとことん付き合う行程となる見込み。
2021/05/16 『日本一巡~晴行雨読~』第71日板橋まで公開。快晴。インバウンド観光客のいない絵葉書のような浅草だった。
昼間の浅草、吉原、山谷それぞれの表情であったし、前後の人形町、両国、南千住、谷中、団子坂、茗荷谷、護国寺、池袋、板橋仲宿もそれぞれの都会の顔だった。
2021/04/24 1 『a classical music chronology』で参照しているYOUTUBEのうち使用不可のものが増えてきたので、別動画をリンク。
2 『日本一巡~晴行雨読~』から『東海道2006』へのリンクを作成。神奈川県内の箱根から川崎は、ほぼ東海道をなぞっているため。
3 『日本一巡~晴行雨読~』で訪問済みとなった指標地(四谷見附橋から八幡橋)のデータ詳細化(このなかで『橋のある深川風景..』『東海道2006』『中仙道2008』へのリンクを作成。)。あわせて日本百名橋の■MYランキング■にも追記。
4 『日本一巡~晴行雨読~』第70日目タイトルを「深川散歩」から「橋のある深川風景」に変更(『橋のある深川風景..』ページとのタイアップを意図することにしたため)
2021/04/19 『日本一巡~晴行雨読~』第68,69,70日を公開。桜開花にあわせて小金井公園-(玉川上水)-駒場東大前-(都心の桜)-永代橋-(深川散歩)-東京シティエアターミナルまで

 本来の予定ルートは都心に入る前に竹芝桟橋から伊豆諸島・青ヶ島というものだったが、芝・増上寺からショートカットした。青ヶ島は日帰りではできないので後日に取り組むつもり。また来たる埼玉=群馬県間では、秩父・三峰口から上州福島駅までのおよそ100kmを見込んでいる関東山地縦断の三日行程も控えているし、さすがに7年目(2015年起算)に入ると、いろいろ新たな課題(制度疲労)が出てきている。転換期にあるのだろう。
2021/03/13 『日本一巡~晴行雨読~』第67日福生駅-小金井公園桜の園(ベースサイドストリート、玉川上水(立川市域)、東大和市、青梅街道、津田塾大学、玉川上水(小平市域)経由)を公開。
旅行日は3月11日(木)なので、今回も2日後の公開。
2021/03/07 『日本一巡~晴行雨読~』第66日御嶽駅-福生駅(御嶽渓谷、吉野梅郷、青梅市街、旧青梅街道(江戸街道)、羽村取水堰経由)を公開。
旅行日は3月5日(金)なので、2日後の公開は最短。
2021/02/05 『都市圏人口 metropolitan area population』が、GoogleMapAPIV3化対応漏れだったので、更新。
2021/01/18 『townguide-Tokyo』Androidで閲覧すると、日本語ページか中国語ページかを聞かれるようなので日本語ページである旨のMETAタグを追加
2021/01/11 『日本一巡~晴行雨読~』第54日強羅駅-元箱根バス停 ~ 第65日奥多摩駅-御嶽駅を公開。実態に追いつく。
本業で余裕がなくなり、さらにいわゆるコロナ禍の世情で昨秋まで停滞。昨10月が仕事上の谷間となったため、高頻度に出歩いた。
箱根、横浜といった定番を楽しみ、東京に入って自分の半生を振り返り、長池見附橋(旧・四谷見附橋)の堂々たる姿に感銘を抱く。
八王子の山里(戸沢)や秋川渓谷、鳩ノ巣渓谷など近傍の地にも発見がある旅路となった。
2020/11/22 『利根川東遷』に寛永6年(1629年)の荒川西遷(熊谷市久下での締め切りと入間川水系和田吉野川への付け替え)を追加。
利根川東遷と同様、荒川西遷も武蔵国埼玉郡から大河川を遠ざけることで、近世初期の新田開発を狙ったもののように思えた。『利根川東遷』で荒川西遷に触れないことは片手落ちのように思えてきたため。
この地域に再び関心が向いてきたのは『日本一巡~晴行雨読~』が進展していることに由来する。神奈川県強羅駅までしか公開していないが、神奈川県を縦断のうえ東京都に入り、すでに関東山地東縁部を彷徨したうえ、現在は奥多摩駅まで到達している。そのため東京都後半のルートと、それに続く埼玉県内のルート選定を行ったところ元荒川をクローズアップしたためである。実際に元荒川にたどり着くのは、来年か再来年か?
2020/03/04 トップページを手直し。最近追加した「利根川東遷」、「府藩県三治制/廃藩置県/府県統合/分離再置県」、「鉄道敷設経過」にたどりつきにくいためいじった。
主要コンテンツを上段にあつめつつ、中下段にある時系列を並べたものも画像主体にすることで、選びやすくしたつもり。
2020/02/28 『日本一巡~晴行雨読~』神奈川編 第53日(2019年11月19日)箱根・強羅駅までリリース。
2020年に入ってから仕事が忙しく、旅行に出なくなったのでホームページが実態に追いついた。本当は箱根駅伝より先に山下りするつもりだったのに。
HP作成の手間削減のためGoogleMap内のマーカーを簡素化し、紀行文も作成できていないので表示エリアを取りやめた。しばらくこの形式で表示するつもり。
2019/12/14 『鉄道敷設経過』 明治37年(1904年)つまり日露戦争。山陽線は下関まで全通。北海道鉄道の函館小樽全通直前の時刻表を追加。
2019/11/22 『鉄道敷設経過』 明治31年東海道線神奈川=程ヶ谷短絡線本線化。北海道官設鉄道旭川開業時の時刻表を追加。
新橋を朝6時20分に乗ると熊本県八代到着は2晩を経てのちの朝7時20分着。上野を朝7時に出ると北海道手宮(小樽)到着も2晩経てのちの夕方5時40分ということだ。それぞれ徳山=門司、青森=室蘭が連絡船であるのだが、当時はたった二晩で到着してしまうことが超絶速いことだったろう。
2019/11/06 『鉄道敷設経過』 明治29年東海道線の「急行」列車運転開始の時刻表を追加。(新橋=神戸=廣島、上野=青森、上野=高崎=直江津、米原=福井、門司=熊本=松橋、手宮=岩見澤=室蘭・空知太)
2019/10/26 『鉄道敷設経過』の明治22年東海道線全通時の時刻表を追加。朝、新橋を出るとその日は京都までしか行かないこととか。一日に数往復しかなかったことがわかります。
2019/10/17 新シリーズ『鉄道敷設経過』をリリース。明治5年の新橋=横浜開業から明治40年の鉄道国有化までの鉄道路線の拡充過程を、原則1年ごとに再現。
最初は国有化直後の「鉄道敷設法」への関心から入ったのだが、そもそも「鉄道敷設法」施行時点の状況がよくわからなかったので、復元したみたことが発端。
お蔭で『日本一巡~晴行雨読~』の更新が滞っている。神奈川県に入り、三浦半島、湘南海岸、大山を経て、現時点は箱根からにもほど近い御殿場線山北駅まで到達しています。
しばらくしたら、あげておきます。
2019/04/23 『日本一巡~晴行雨読~』第45日の富津市上総湊までリリース。46日目は対岸の三浦半島・横須賀市逸見駅から再開。不連続となるが、北海道と青森や離島のケースもあり、そもそも計画当初からの構想どおり。
2019/04/02 『日本一巡~晴行雨読~』説明文のイメージファイル化とGooglePhotoへのリンクについて、第4日のみプロトタイプとして昨秋9月にリリースしていたが、1日目~10日目を追従。
日本一巡自体は富津市上総湊まで到達し千葉編完結。次回からの神奈川編を横須賀市逸見駅から始める予定。
2019/03/08 『日本一巡~晴行雨読~』のGoogleMapAPI変更完了。31日目から42日目を追加(佐原~館山市布良(安房自然村バス停))。佐原までは昨年の2月にリリースしているので、1年振りの更新。コンテンツも途中のアピールしたいポイントを青マーカーにして目立たせた。
第4日コンテンツで試行した、説明文をイメージファイル化することは追加着手していない。これが今後の課題。
2019/01/02 『中仙道2008』についてGoogleMapAPIを一部変更。Look&Feelの変更なし。
これで対応残は『日本一巡~晴行雨読~』のみ。
2018/12/30 『東海道2006』のうちGoogleMapAPIGoogleMapAPIV3が未対応だった全行程図についても変更完了。
2018/12/28 『東海道2006』についてGoogleMapAPIを一部変更。Look&Feelの変更なし。
但し、全行程図を除く。
『轍 Wadachi』から自動生成していた部分はGoogleMapAPIV2だったので、GoogleMapAPIV3化に伴ってCAPTION表示も廃止しました。(卒業してしまったようで、すこしさびしい。)
2018/12/22 『townguide-tokyo』『利根川東遷』についてGoogleMapAPIを一部変更。Look&Feelの変更なし。

『府藩県三治制/廃藩置県/府県統合/分離再置県』の対応と同様。比較的軽微な対応だったのでリリースできた。
一方、最初に作った東海道、中仙道は長期化しそう。日本一巡も改造中だし、とほほ。
2018/12/12 『府藩県三治制/廃藩置県/府県統合/分離再置県』についてGoogleMapAPIを一部変更。Look&Feelの変更なし。

秋以降、GoogleMapAPI仕様変更の適用が厳格化されたため、GoogleMapを使った地図が一律制限を受けていた。
あわせて現行のGoogleMapAPIV3でなく、V2で作成したページのV3化もあわせて実施しており対応が長期化している。
『府藩県三治制/廃藩置県/府県統合/分離再置県』はもともとGoogleMapAPIV3で作成したため、対応が軽微であったため第一弾としてリリースしたもの。
『日本一巡~晴行雨読~』は説明文をイメージファイル化に加えて、GoogleMapAPIV3対応も上乗せされ、なかなかリリースできないでいる。
実際は、千葉県南房総市千倉駅まで到達済み。
2018/09/17 『日本一巡~晴行雨読~』について改造中。第4日の説明文をイメージファイル化し、GooglePhotoへのリンクを作成した。
7月までに千葉県鴨川市江見駅まで到達しており、その反映と当時に改造版をリリースするつもり。
2018/02/02 『日本一巡~晴行雨読~』について、第25日~第30日をリリース。関宿から市川経由で佐原まで。千葉県内の6日間。
2017/09/14 『日本一巡~晴行雨読~』について、「第12日 茂木 馬門の滝・那珂川」までの本文を執筆し更新。
実際の旅行は既に千葉編を始めていて、関宿→春日部(庄和)→流山→市川真間の3日間分進んでいますが、本文執筆を優先中。
2017/08/30 『日本一巡~晴行雨読~』について、桜川市真壁から結城、古河を経て千葉県関宿までを反映。茨城県編完結。
ただ気分的には鬼怒川を越えた結城から下総国編が継続している。下総は利根川・渡良瀬川合流部付近から江戸湾に至る線を西限に、
鬼怒川から霞ヶ浦を経て銚子の線を北限にした領域だったが、江戸時代の利根川東遷事業による東西方向の区画線が新設され、
明治初年の廃藩置県時に多くの県が旧令制国をプロトタイプとして再現されたにも関わらず、下総国は利根川により茨城県と千葉県に
区画された経緯がよくわかった。だからこそ、下総国を一体的に感じたい。だから何が終わり。なにかが始める、という気がしていない。
2017/07/11 『a classical music chronology』について、ElgarのNimrod、FauréのAprès un rêve、RachmaninovのSymphony No.2 3rd mvmt、SatieのJe te veuxを強調したくなり、chronology INDEXを改変。各カテゴリ3作品を選定。
2017/06/27 『a classical music chronology』について、Edgarの2曲追加。Salut d'amour と Nimrod
いくつかのYOUTUBEが視聴不可になっていたのでまとめて差し替えしました。
『日本一巡~晴行雨読~』は真壁から結城に至り、下総国シリーズに突入。古河、埼玉県加須市、幸手市などを経て、千葉県関宿に到達していますが未整備です。
2017/04/25 『日本一巡~晴行雨読~』について、4月14日に訪れた稲田御坊・道祖神峠・一本杉峠を追加。これで桜川市真壁まで到達。
これ以降、しばらく利根川水系となる見込み。
2017/04/10 『日本一巡~晴行雨読~』について、第7日 日光杉並木と春の花々の本文を執筆し更新。
これ以降も後続させたいが、どこまでいけるやら
2017/03/30 『日本一巡~晴行雨読~』について、茨城県の常陸太田駅から西山荘、偕楽園を経て、JR水戸線 稲田駅まで。
2017/02/27 『利根川東遷』をリリース
なにも説明がましいことを書いていない。その意味で不親切。今年夏ごろ、『日本一巡~晴行雨読~』で訪れるので、それに向けて拡充するものと考えています。
2017/01/17 『日本一巡~晴行雨読~』について、地図と写真を最新化
2016年6月に訪れた栃木県の茂木駅から、2017年1月4日に到達した茨城県の常陸太田駅までを反映。
テキスト・注釈の反映はまだまだ。そちらの拡充を狙うか。「利根川東遷」を優先するか思案中。
2016/11/02 『中仙道2008』について、縦長画面(ポートレイト)に変更。
2016/10/26 『東海道2006』について、縦長画面(ポートレイト)に変更。
2016/10/17 サーバーを変更。
http://ss.em-net.ne.jp/~samrai/ から http://samraiweb.ciao.jp/ へ
大規模にfavivon定義していたことが裏目に出て、多数のファイル更新を入れないと移行できませんでした。
かなりの期間、旧居側をアクセスされることが多いだろうから、その場合にリンク切れとして表示されるだろうが、人気サイトでもなし、移ることにした。ランニングコストのため。いろいろな意味で。
2016/10/11 『日本一巡~晴行雨読~』について、縦長画面(ポートレイト)に変更。
ページ上は栃木県の茂木駅までしか進んでいないが、現在時点では茨城県の袋田の滝まで歩みが進められている。けれども、それが反映できていないのが口惜しい。。。
ただいま『改主建従』の方針で進めているところ。
2016/09/26 『year-by-year 日本戦国勢力』について、縦長画面(ポートレイト)に変更。
フレームをテーブルに作り変えた際の不具合も一部修復。(リンク切れ対応)
2016/09/13 先日リリースした『府藩県三治制/廃藩置県/府県統合/分離再置県』について、縦長画面(ポートレイト)に変更。
あわせて明治4年の礪波郡の扱い(新川県と金沢県の境界)と、明治8年の香川県が表現されていなかったことを修正。
リリース時はPC用の横長画面(ランドスケープ)かつ画面リサイズ不可で定義していたため、自分のスマホで見た際に、地図だけが表示され、なにも操作できなかったため変更。
2016/09/12 最近(といっても随分前からですが)、小さなアイコンがつけられることに気付き、それがFAVICONというものだと知りました。
明治初年の県域の変遷整理が一段落したので、主なコンテンツにつけてみました。
2016/09/03 明治初年の県域の変遷を主に整理した『府藩県三治制/廃藩置県/府県統合/分離再置県』をリリース。
動機は本文の編集後記に記載していますが、技術的にはKMLを使ったGoogleMap上のポリゴン操作でした。この「GoogleMapで任意の県に色をつける方法 」が最も参考になりました。

[samRai web!]というタイトルでページを1999年9月9日に開設以来、ほぼ17年経過したことになります。当時のコンテンツは「橋のある深川風景」一枚看板でしたが、いつまで経っても建築中という状況は常に継続しています。最近の『日本一巡~晴行雨読~』のサブタイトルには、初老男とつけざるを得ないほど時間が経過してしまいました。興味の種は尽きないので、まだまだ拡充していくものと思います。
ちなみに日本一巡は既に茨城県に到達しています。県域変遷に作業時間を割いていたため、こちらは手付かずでした。
第12日馬門の滝・那珂川、第13日龍門の滝・那須国造、第14日大雄寺・雲厳寺を整理後追加する予定です。
また最近、江戸初期の利根川東遷事業に興味が沸いています。日本一巡の追いつき後はそれに着手する予定です。
2016/06/21 『日本一巡~晴行雨読~』 第10日筑波山遠望・高田専修寺(30km) 第11日益子屋敷(17km)を追加。
利根・鬼怒・小貝川水系から分水界を越え、那珂川水系逆川に沿った栃木県芳賀郡茂木町に到着。
2016/06/09 『晴行雨読~日本一巡~』から『日本一巡』を主とし、『日本一巡~晴行雨読~』とした。
当初構想と異なり、関東日帰り旅で始まってしまい雨による滞留要素が少なくなり、日本一巡色が中心となったため。
歩いてみて、それぞれの目的地中心ではなく一巡することそのものが主となり、日帰りのため、旅行日別のページ構成に改組。
福島県御池バス停から尾瀬、奥日光、足尾、日光市街、栃木経由のJR小金井駅までの9日間分を再構成してリリース。
2015/10/30 『晴行雨読~日本一巡~ 利尻富士から歩いて薩摩富士へ』94章「華厳の滝から足尾」リトライのテキストを作成。
2015/10/24 『晴行雨読~日本一巡~ 利尻富士から歩いて薩摩富士へ』94章「華厳の滝から足尾」のリトライを10月19日に行い、そのルート及び写真を追加。テキストは未作成。
テキストは案外時間がかかるので、先行更新。いろは坂を通過するルートなので紅葉が見ごろの時期を狙って実施。
2015/09/29 『晴行雨読~日本一巡~ 利尻富士から歩いて薩摩富士へ』93章のテキストを追加。華厳滝からは本来94章相当なので、独立して94章のテキストも含めて新設
これで初回旅行の記録を上げ終えた。たっぷり2ヶ月経過したことになる。
2015/09/15 『晴行雨読~日本一巡~ 利尻富士から歩いて薩摩富士へ』92章のテキストを追加。文章が多くなったので、JScrollPane部品でスクロールバーを設置して上梓。
いろいろなサイトを見ましたが、「WordPressの実」がサンプルファイルのDLがあり、最も参考にさせていただきました。
2015/09/01 『晴行雨読~日本一巡~ 利尻富士から歩いて薩摩富士へ』の初回(7月26-28日)、2回目(8月19日)の成果を92章、93章として反映。ただしテキスト部分は未了。行程軌跡と写真のみ
2015/06/16 『a classical music chronology』に5曲追加。
道化師のギャロップ、クシコスポスト、ランゲの花の歌といった日本(だけ)での人気曲と、シューベルト「鱒」、バッハのメヌエットです。

『晴行雨読~日本一巡~ 利尻富士から歩いて薩摩富士へ』の内容修正
利尻から始め、北海道を取り組むにはかなりの回数往復することになり断念しようともした。しかしここまで企画したので尾瀬から始まる関東編から取り組むことに軌道修正。
2015/04/23 トップページを大幅変更。
最初のコンテンツである『橋のある深川風景』から始まり『日本戦国勢力』『Townguide-Tokyo』、 さらには最近の『a classical music chronology』『Pictures & Musics chronology』など編年を扱うコンテンツが多いことに気づきました。 編年ごと横串で見られるとおもしろいかな、と。
これからの主更新コンテンツである『晴行雨読~日本一巡』を一丁目一番地にしてみた。
2015/04/03 『晴行雨読~日本一巡~ 利尻富士から歩いて薩摩富士へ』の南洋編・薩南沖縄を追加。
2015/03/03 『a classical music chronology』の作曲家別インデクスにYOUTUBE画面を追加し、作曲家別ページに留まって個別楽曲を閲覧できるようにした。
2015/02/10 『a classical music chronology』の作曲家別インデクスを改良。肖像画像を追加。
2015/01/29 『晴行雨読~日本一巡~ 利尻富士から歩いて薩摩富士へ』を初回リリース。今年夏から定年後まで、散発的に10数年かかるつもりの大旅行。
2014/10/25 『中仙道2008』落合(岐阜県中津川市)から太田(岐阜県美濃加茂市)まで延伸し完結。
東海道に倣い全行程概要図も追加。
2014/10/01 『中仙道2008』塩尻から落合(岐阜県中津川市)まで延伸
2014/09/17 『中仙道2008』板橋から塩尻まで延伸
2014/09/04 『中仙道2008』日本橋→板橋をモデルチェンジ。
東海道で実施したような、線としての街道の復元は手間の点からあきらめ、主要ポイントのみの点の表現。
東海道に比べて追加したのは、主要ポイントをタイムラインとして一覧化したこと。
2014/06/29 『中仙道2008』初回として、日本橋→板橋をリリース
2014/06/13 『a classical music chronology』にWagnerのBraidal chorusを追加
あまりに有名なこの曲の作曲がワーグナーだと知らなかった。映画『地獄の黙示録』に使われたワルキューレの騎行のイメージが強く、ワーグナーとの連想ができなかった。
2014/05/30 『a classical music chronology』にMorzartのディベルティメントK.136を追加
更新履歴に反映していなかったが、ちょっと前にHandelの”見よ勇者は帰りぬ”(表彰式での定番曲)を追加していて、あわせて143曲。
2014/05/28 『Painting pictures chronology』の年譜にやや強引に音楽家を混ぜ、『Pictures & Musics chronology』に看板を架け替えた。
モネとチャイコフスキーが同じ1840年生まれで活躍時期も重なることを発見。
ドラクロワによるショパンの肖像は知っていたので重なりがあるだろうとは考えていたが、案外美術と音楽のブームについてお互いが背反な関係にあるような気さえした。
2014/05/23 『a classical music chronology』の姉妹編として、『Painting pictures chronology』をリリース。芸術史シリーズの2作目。
次は絵画史と音楽史をまとめて見ちゃうシリーズに発展させるつもり。
2014/04/12 『Selection of National Music』に、haka(NZ)、レゲエ(ジャマイカ)を追加。後は地域性でインド、アラブ諸国からサウジ、ブラックアフリカから南アの5ヶ国追加し、全25ヶ国
2014/04/07 『Selection of National Music』に、美しく青きドナウ(オーストリア)、ウィリアムテル序曲(スイス)が漏れており、中南米のコンドルは飛んでいく(ペルー)、ラ・クンパルシータ(アルゼンチン)と、スチールパンの曲(トリニダッド・トバゴ)で5ヶ国追加し、全20ヶ国
2014/04/06 『a classical music chronology』に、威風堂々や、Finlamdia、Moldauなど各国を代表するような曲が多く含まれていることから、『Selection of National Music』を作成。英仏など15カ国。
2014/03/21 『a classical music chronology』にMascagni:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より「間奏曲」など10曲追加(あわせて141曲)
2014/02/04 『a classical music chronology』内の『Favorite Movies』について、やっぱりウルトラクイズのBGMを載せたいので直接YouTubeを起動することとしました。満足してます。
2014/02/01 『a classical music chronology』内の『Favorite Movies』にルパン三世などを追加。4件から19件に
本当はウルトラクイズのBGMを載せたいのだけれど権利の点でできないのが残念です。
2014/01/29 トップページを改修。既存の空間尺度メニューに加え、時間尺度メニューを追加。トップページ下部のサイトマップも整理した。
新設の『a classical music chronology』へのスムーズな導入のため実施。
2014/01/25 トップページの青色をiPhoneで見ると明るすぎて見づらかったので、色合いを抑えたものとしました。
2014/01/24 『a classical music chronology』にWolf-Ferrari:マドンナの宝石など25曲追加(あわせて131曲)
2014/01/21 新シリーズ『a classical music chronology』リリース
またYouTubeを利用させていただきました。
ショパン:英雄ポロネーズなど106曲でスタート
2013/08/24 トップページを改修。
主要テーマがそれぞれ深川<東京<日本<世界と扱うスケール感ごと異なっており、強調できるようにしました。
あわせて主要テーマの一覧性を高めたつもりです。
2013/08/15 『東海道2006 日本橋から宮(熱田)』全工程地図に、現地走行未踏の桑名-京師三条大橋を追加。
これで東海道編は当面の全作業終了。未踏区間を走行する機会があれば拡張予定。
実は中仙道を2008年に一部実地走行しており、しばらくは中仙道編の準備をしてます。
2013/08/08 『東海道2006 日本橋から宮(熱田)』宮・七里の渡しまで到着。
2010/02/28が初回公開なので、3年半かかって完成。3日の旅だったのに。
2013/07/30 『東海道2006 日本橋から宮(熱田)』を赤坂-藤川-岡崎-池鯉鮒まで延伸。7月半ば以降量産ペースが落ちました。
2013/07/09 『東海道2006 日本橋から宮(熱田)』を二川-吉田-御油-赤坂まで延伸
2013/06/27 『東海道2006 日本橋から宮(熱田)』を浜松-舞坂-新居-白須賀-二川まで延伸
2013/06/18 『東海道2006 日本橋から宮(熱田)』を掛川-袋井-見付-浜松まで延伸
2013/06/12 『東海道2006 日本橋から宮(熱田)』を藤枝-島田-金谷-日坂-掛川まで延伸
2013/06/03 『東海道2006 日本橋から宮(熱田)』を府中-丸子-岡部-藤枝まで延伸
2013/05/22 『東海道2006 日本橋から宮(熱田)』全工程地図を日本橋-府中(駿府)と府中(駿府)-宮(熱田)の二枚同時表示に拡張した。
2013/05/06 『東海道2006 日本橋から宮(熱田)』を由比-興津-江尻-府中まで延伸
2013/05/02 『東海道2006 日本橋から宮(熱田)』を吉原-蒲原-由比まで延伸
2013/05/01 『東海道2006 日本橋から宮(熱田)』を原-吉原まで延伸
2012/03/14 『東海道2006 日本橋から宮(熱田)』を三島-沼津-原まで延伸
2012/03/10 『東海道2006 日本橋から宮(熱田)』を藤沢から三島まで延伸
友人T氏のコメントを踏まえ改造
 動画スピードを速め、各宿間10分を目安としてYouTubeに再投稿した動画へリンク
実際に東海道をたどろうとする方へのコメントを追加
2011/06/10 『townguide-Tokyo』の各地域/地区ごとに対応するGoogleMapを参考として追加。
過去(江戸・明治・戦前)との対比するための現代の地図が1977年のものであることが気になっていましたが、
最近の地図を加えることで、5断面の比較が可能となりました。
2011/06/03 A Global Mesh - 地球大のメッシュマップ試案 - に都市圏分布を追加
1月のリリースに、『都市群システムの比較地域研究』というテーマを掲げていましたが、
GoogleMapを使うことで、縮尺と範囲をページ閲覧者の切り口に委ねられる分布図になりました。
こちらの解説にも書きましたが、個々の都市圏域の画定には触れずに済ましており、
個々の都市圏の人口数は鵜呑みにして作っているため、「ほんとかいな」というものもあります。
しかし一方で、東京ですらその都市圏域は、どう評価されてその人口数を得たのかわからないので、
個々の都市圏域画定は避けて通れないと感じている反面、労力の点で、二の足を踏んでいるところです。
2011/04/02 いままでフレームで提供していた『橋のある深川風景』を改造。
2011/03/31 いままでフレームで提供していた『townguide-Tokyo』を改造。
2011/03/26 いままでフレームで提供していた『東海道2006 日本橋から宮(熱田)』を改造。
2011/03/22 Googleでの検索上位に行くようにちょこちょこ改造しているのですが、
その一環として、いままでフレームで提供していた『year-by-year 日本戦国勢力(1540-90)』を改造。
2011/01/14 A Global Mesh - 地球大のメッシュマップ試案 - を開店
準備は2002年ごろからやっていたので、本人的には、やっと出た、という感じです。
本来は、都市群システムの比較地域研究という発想で始めたので、そっちのほうは次にやるつもりです。
2010/03/25 東海道 2006 日本橋から宮(熱田)のうち、保土ヶ谷から藤沢まで
日本橋から藤沢までの全行程地図を別途作成、リンクするようにしました。
2010/03/09 東海道 2006 日本橋から宮(熱田)のうち、川崎から保土ヶ谷まで
2010/03/04 東海道 2006 日本橋から宮(熱田)のうち、品川から川崎まで
2010/02/28 東海道 2006 日本橋から宮(熱田)のうち、日本橋から品川まで
マッシュアップというのかもしれませんが、GoogleMapとYouTubeを活用して作成しています。
個人的には人生の転機があり、かなり久しぶりの更新になりました。

[1999年] [2000年2001年] [samRai web!(戦国時代勢力図 東海道実地走行 地球大のメッシュマップ 深川の橋)]